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■Feather weight

▼フェザー級ベスト10

 1位   アレクシス・アルゲリョ
 2位   サンディ・サドラー
 3位   ウィリー・ペップ
 4位   ビセンテ・サルジバル
 5位   サルバドル・サンチェス
 6位   テリー・マクバガン 
 7位   エイブ・アッテル
 8位   エウセビオ・ペドロサ
 9位   シュガー・ラモス
10位   ウィルフレド・ゴメス

現在のフェザー級グレート、ハメドやバレラも歴代王者と引けを取らない傑出した実力の持ち主だと思うが、ランク作成時点(2000年)でキャリア途上の現役選手ということで敢えて除外した。

このクラスはサルジバル、アルゲリョ、サンチェスと数多くの中南米ヒーローが誕生した。
そんな中で40年代から50年代に掛けて活躍したサドラーとペップの2人の米国人ライバルの死闘も
ボクシング史には欠かせないものだ。




■1位 アレクシス・アルゲリョ

70年代を代表するグレートチャンピオン。端麗なマスクとスマートなボクシングスタイル、"貴公子"アルゲリョは近代的で最もエレガントなボクサーである。

1973年に世界ランカーのオクタビオ・ゴメスを2回KO、元世界王者のホセ・レグラを初回KOして注目を浴びたアルゲリョは、翌1974年2月、WBAフェザー級タイトルに挑戦。エルネスト・マルセルに善戦するも、小差の判定負け。11月、マルセルがタイトル返上後に、歌川との決定戦を制したオリバレスに挑んだアルゲリョは13R、右アッパーで王者を倒し、王座に就いた。この試合は後に日本でも放映されたが、実にドラマチックな王座交代劇だった。

3度目の防衛戦で来日。左アッパーのボディブローでR小林をマットに沈め、日本のファンの度肝を抜いた。フェザー級のタイトルを4度防衛した後、1978年1月、敵地サンファンでエスカレラを13RにストップしてWBC・Jライト級王座を奪取、2階級を制覇した。減量苦から開放されて8度の防衛に成功したJライト級時代が、アルゲリョの全盛期だった。

1981年6月にはWBAライト級王座に挑み、ジム・ワットを判定に下し3階級制覇を達成した。このタイトルを4度守った後、1982年11月に4階級目を狙い、プライアーに挑むも14回KO負けで悲願達成はならなかった。翌83年9月の再戦でも10回に倒されて、アルゲリョの時代は終焉を迎えた。

89戦81勝(65KO)8敗。

■2位 サンディ・サドラー

103というKOを量産(ムーア、ロビンソンに次いで史上3位)した、軽量級を代表するKOキングだ。ライバル、ペップとの4度の激闘(サドラーの3勝3KO1敗)はあまりにも有名である。その強打とともにダーティファイターとしても知られている。

1944年にプロデビューしたサドラーは、年間約20というハイペースで試合をこなし、48年10月、ペップの持つ世界フェザー級王座に挑戦。135勝1敗1分と驚異的なレコードを持つ、稀代の業師ペップを4Rにストップして世界の頂点に立った。翌年2月の再戦で、ペップの執念の前に雪辱を許したが、第3戦は8R、TKOで制し、タイトルを取り戻している。51年9月に行なわれた第4戦は9R終了でサドラーの勝ちとなったが、反則技が乱れ飛ぶ凄惨な試合として知られる。

この間にはオーランド・スルエタを下し、Jライト級王座も手にした。55年にノンタイトル戦で来日。東洋無敵だった金子繁治を6Rに沈め、世界の壁の厚さをまざまざと見せつけている。57年に交通事故に遭って眼を痛め、王者のまま引退した。

162戦144勝(103KO)16敗2分。

■3位 ウィリー・ペップ

1940年代に活躍したテクニシャン。鋭いパンチとスピーディなフットワークのみならず、反則すれすれの”トリックの天才”でもあった。名前に引っかけて『ウィロー・ザ・ウィスプ』(鬼火)のニックネームで知られた。

イタリア系米人のペップは、アマチュアで1938、39年とコネチカット州のバンタム級王者となり、1940年にプロデビューした。いきなり53連勝を記録したペップは42年11月、ニューヨークでチャーキー・ライトの持つ世界タイトルに挑み、判定勝ち。この連勝は43年3月、サミー・アンゴットにノンタイトルで判定負けを喫するまで実に『62』まで伸びている。

アンゴット戦後、再び勝ち星を連ねたペップは46年6月、NYACチャンピオンのサル・バートルと王座統一戦を行ない、12回KOで正真正銘のNO1を証明した。しかし、73連勝と無敵を誇るペップに一人の黒人パンチャーが立ちはだかった。48年10月、フェザー級のKOキング、サドラーに4回KO負けを喫したのだ。ペップの時代も終わったかに見えたが、不屈の闘志で翌49年2月に雪辱(15回判定勝ち)している。その後、サドラーとは2度対戦し、いずれもKO負けに終わったが、『死闘の4連戦』として今も語り継がれている。

242戦230勝65KO11敗1分。

■4位 ビセンテ・サルジバル

“アテスカの赤い鷹”と形容されたメキシコの英雄である。ファイティングスピリッツに溢れ、攻撃的なサウスポーだった。そのインファイトの凄まじさで”闘牛”とも呼ばれた。

アマ時代、ローマ五輪に出場し、初戦で敗退したが、この時はまだ17歳だった。翌1961年プロ入り。62年に反則負けした以外は全勝で、64年9月、強打のラモスに挑戦。激しい打ち合いの末、12回KOで王座に就いた。66年8月、6度目の防衛戦で関光徳とダウン応酬の激戦を演じて判定勝ち。67年1月の再戦では関を7RにメッタうちにしてKO勝ち、格の違いを見せた。その後、ハワード・ウィンストンに連勝して8度目の防衛に成功したサルジバルは引退を表明する。

しかし、事業に失敗し、2年後の69年に再起。70年5月、ジョニー・ファメションに判定勝ちしてWBC王座に返り咲いた。12月の初防衛戦では柴田の先制攻撃に遭って苦戦。13R、コーナーから立てずTKO負けした。サルジバルの時代は日本の若き天才パンチャーによって幕を下ろされた。74年にはジョフレの持つWBCタイトルに挑戦したが、4回KO負けで引退した。

40戦37勝(26KO)3敗。

■5位 サルバドール・サンチェス

初めてサンチェスを見た時は、荒削りな印象を持ったものだ。優れたカウンターパンチャーでもあったサンチェスは、見た目にはさほど強さを感じさせないが、脅威的なタフネスで、いつの間にか対戦者をねじ伏せてしまう実戦派のボクサーだった。

アマで14連続KOを記録した後、16歳でデビューしたサンチェスは1977年、空位のメキシコ・バンタム級王座をアントニオ・ベセラと争い、判定負け。これが生涯喫した唯一の敗戦である。翌年、米国進出を果たすが、ファン・エスコバルにダウンを喫して引き分ける。80年2月、ダニー・ロペスの持つWBCタイトルに挑戦するが、予想では王者が圧倒的に有利だった。ところが試合はサンチェスのワンサイドとなり、13Rレフェリーストップで新王者が誕生した。

サンチェスのキャリアの中でもハイライトは81年8月に行なわれた、35連続KO中のJフェザー級王者ゴメスとの6度目の防衛戦だろう。サンチェスはこの1階級下のKOアーチストを全く寄せ付けず、1Rからダウンを奪い、8Rに右ストレートでトドメを刺した。
82年7月、後の名王者ネルソンとの激闘を劇的な15R、TKOで飾った僅か22日後に悲劇は起きた。サンチェスの運転するポルシェが小型トラックと正面衝突。23歳という若い命が散ってしまった。

46戦44勝(32KO)1敗1分。

■6位 テリー・マクガバン

今から約100年前、トップボクサーの多くはアイリッシュが占めていた。前世紀末から今世紀初頭にかけて活躍したマクガバンは、アイルランド系でも特に人気の高かったボクサーだ。「最も危険なパンチを持つ男」と言われ、”テリブル・テリー”のニックネームで恐れられた。

ニューヨークのブルックリン出身のマクガバンは17歳でプロデビュー。1899年9月、19歳の時にペドラー・パルマーを僅か1Rに沈め、世界バンタム級チャンピオンになる。
この頃のマクガバンは、殆どの試合を1、2Rでフィニッシュするという速戦即決型のボクサーだった。バンタム級タイトルを1度守った後、1900年1月、ジョージ・ディクソンの持つ世界時代タイトルに挑戦。故ナット・フライシャーが、バンタム級のオールタイムNO1に推す、強豪ディクソンを8回TKOに下している。7月には1階級上のライト級王者フランク・アーンとノンタイトルを行い、3回KO勝ち。フェザー級のタイトルは6度防衛(全KO)した。1901年11月、ヤング・コーベットに2回KO負けし、かつての勢いは失せてしまう。この時まだ21歳、早熟の天才と言えよう。

60勝(42KO)4敗4分10ND。

■7位 エイブ・アッテル

ユダヤ系移民のアブラハム・ワシントン・アッテルはサイエンティックなスキル以外に、稀にみる頭脳の明晰さでも知られる。身長は162センチで、小柄なフェザー級だった。

16歳でデビューしたアッテルは、1901年10月、ジョージ・ディクソンに挑み、判定勝ちで世界フェザー級王座に就いた。弱冠17歳8ヶ月での戴冠は、75年後にベニテスに破られるまで史上最年少レコードだった。このタイトルは、11年間の長きに渡って12度防衛している。(22度説もある)1912年にジョニー・キルベーンに敗れてタイトルを失った後は生彩を欠き、17年にフィル・バーゲッツに4回KO負けしてリングを去った。

引退後は全米を騒がせたブラック・ソックス事件(大リーグの八百長)の仕掛け人としてクローズアップされるなど、ギャンブラーとして名を馳せた。
アッテルは、ジム・コーベットを手本とし、右ストレートと左フックを主体にしたカウンター戦法を得意とした。声がかかれば、時と場所を選ばず戦い、大プロモーター、テックス・リカードをして「史上最も偉大なボクサー」と言わしめている。

90勝(53KO)9敗17分51ND2NC。

■8位 エウセビオ・ペドロサ

175センチの長身と長いリーチを駆使したアウトボクシングで、19度防衛のクラスレコードを樹立。あらゆる角度から繰り出されるパンチ、得意のボロアッパーと変幻自在のテクニックで、「負けないボクシング」を展開した。

バンタム級時代の1976年4月、サモラのWBAタイトルに挑戦するが、2R左フック一発でKO負け。翌年フェザー級に転向し、78年4月、セシリオ・ラストラを13回TKOに下してWBAフェザー級タイトルを手にした。サモラ戦の敗戦イメージが強く、当初の評価は芳しいものではなかった。
79年1月には3度目の防衛戦で来日。R小林の強打に期待が集まったが、13R終了のKOで一蹴した。翌年にはS根本の挑戦をワンサイドの判定で退け、日本のファンに一級の実力を見せつけた。

対立王者だったサンチェスと較べると地味ではあったが、実力は高く評価された。85年6月、バリー・マクギガンに判定で敗れ、7年間守り抜いたタイトルを手放した。翌年、エドガー・カストロに判定負けを喫し引退したが、5年後の91年に再起。3連勝(1KO)の後、92年にマウロ・グチェレスに敗れてリングを去っている。

50戦42勝(25KO)6敗1分1NC。

■9位 シュガー・ラモス

キューバ革命の為、妻子を祖国に残し、メキシコに亡命したウルチミノ・シュガー・ラモスには2つの悲劇が襲っている。フェザー級のホープとして売り出し中の1958年、ホセ・ブランコを8回にKO。しかし、ブランコはKO負けの後、永遠の眠りに就いてしまう。63年には、ラモスの強打を受けた世界チャンピオンのムーアが、試合の2日後にブランコと同じ脳傷害のため亡くなっている。破壊的な両コブシは文字通り”殺人パンチャー”として恐れられた。

アマチュアで74戦全勝(37KO)の快記録を残したラモスは1957年10月にプロデビュー。31連勝(3引き分けを含む)の後、ラファエル・カマチョにバッティングによる反則負けを喫する。(これは後に判定が覆されて、ラモスのKO勝ちになった)
その後も順調に白星を重ねたラモスは、長らく世界フェザー級の上位にランクされるが、世界挑戦のチャンスはなかなか訪れなかった。ようやく63年3月21日にデビー・ムーアとの世界戦が実現。壮絶な打撃戦の末、10回KO勝ちするが、試合後にムーアが死亡。衝撃的な事件と共に、ラモスの強打も一躍知られることになる。

だが、減量苦もあってラモスの時代は長くは続かなかった。64年9月、サルジバルに12回KO負けで、4度目の防衛に失敗。ライト級に転向し、オルチスに2度挑戦したがいずれもKOで敗退した。

66戦55勝(40KO)7敗4分。

■10位 ウィルフレド・ゴメス

プエルトリコが生んだ稀代のKOスペシャリスト。17連続KO防衛は、Jフェザーというクラスを割り引いても十分評価に値するものだ。

1974年の第1回アマ世界選手権で、オールKO勝ちを収めて金メダル。一躍注目を浴び、同年11月にプロデビューした。初戦で引き分けた後は、全てKOで連戦連勝。77年5月に廉東均の持つWBC・Jフェザー級タイトルに挑戦。1Rにダウンを奪われたものの、12Rに左フックを決めて廉にテンカウントを聞かせた。

78年1月、北九州で行なわれた一戦では、日本のファンにも強烈な印象を与えている。絶好調を伝えられ、タイトル奪取が期待されたR小林を3R、芸術的な左フックで鮮やかに斬って落とした。絶妙なカウンターだった。
ゴメスのキャリアの中でもハイライトは、同年10月にバンタム級の”KOキング”サラテを迎えた6度目の防衛戦だろう。緊迫した試合は4Rに、またもやゴメスの左フックが火を吹いた。抜群のタイミングでカウンターが決まり、サラテ、ダウン。続く5Rにも左フックでダウンを奪い、フィニッシュした。

81年8月、二階級制覇を賭けてサンチェスに挑んだが、8回KO負けで初黒星。84年にラポルテを破りWBCフェザー級、85年にはロックリッジにも勝ってWBA・Jライト級と3階級制覇を果たしている。

48戦44勝(42KO)3敗1分。



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