<年代別>
■1970年 ■1971年 ■1972年 ■1973年 ■1974年 ■1975年 ■1976年
■1977年 ■1978年 ■1979年
<階級別>
■フライ級 ■バンタム級 ■フェザー級 ■ライト級 ■ウェルター級 ■ミドル級
■Lヘビー級 ■ヘビー級
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■Welter weight (2001.3.28更新)
▼ウェルター級ベスト10
1位 ホセ・ナポレス
2位 ホセ・ピピノ・クエバス
3位 ウィルフレド・ベニテス
4位 アントニオ・セルバンテス
5位 カルロス・パロミノ
6位 センサク・ムアンスリン
7位 ニコリノ・ローチェ
8位 ブルーノ・アルカリ
9位 アンヘル・エスパダ
10位 ジョン・H・ストレーシー
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70年代のウェルター級はWBA王者3人、WBC王者5人の計8人(延べ10人)の王者が君臨した。統一王者だったナポレスがエスパダとの指名試合を拒否して、75年にWBAタイトルを放棄。以来王者並立の時代が続いた。
国別では米国3人、メキシコ、プエルトリコが各2人、英国1人となっている。王者の総数は少ないが、顔ぶれを見るといずれも実力者揃いで錚々たるメンバーが揃っている。レナードの戴冠が79年、ベニテスを劇的な最終RKOで破り、やがて来る80年代の黄金時代を予感させた。ハーンズはKOセンセーションを巻き起こし、80年にクエバスを衝撃的なKOに降した。
Sライト級ではセルバンテス、センサク、ローチェ、アルカリらの名王者も生まれた。彼らはウェルター級王者と比較しても遜色のない実力の持ち主だったと思う。
トップ10の1位は攻防兼備で70年代を代表するボクサーの1人、ナポレス。彼の偉大さは全盛期を過ぎて尚、これだけの実績を残したことだろう。しかも、コークス挑戦は本来のSライト級から1階級上げてのものだった。相手のパンチを紙一重でかわし、瞬時に強打を決める。柔らかい身のこなしから“マンテキーヤ”(バターのように滑らか)というニックネームがついた。
18歳7ヶ月の若さで王座を手にしたクエバスは、文字通り相手のアゴを砕く破壊的ハード・ヒッター。8連続KO防衛でエスパダ戦の勝利がフロックでないことを証明して見せた。しかし、王者になって徐々にハングリー精神を失くしていったクエバスはハーンズに敗れ、一気に失速してしまった。
プエルトリコが生んだ天才ボクサー、ベニテスはディフェンス・マスターと賞される技巧派。セルバンテス、パロミノ、ホープら実力者を降しての3階級制覇は立派なものだ。17歳6ヶ月でSライト級、20歳4ヶ月でウェルター級、22歳8ヶ月でSウェルター級と、3冠を制したのも最年少記録である。
セルバンテスはオールラウンドのボクサー・タイプで、Sライト級史上最強のボクサーといっていいだろう。73年には年間5度の防衛に成功、戦うチャンピオンとも呼ばれ、通算では16回の防衛を果たしている。デュランとの対戦がたびたび話題になったが、実現することなく終わったのが残念だ。
ナポレス、クエバス、レナードらの活躍に隠れ、地味な存在に甘んじている感もあるパロミノだが、テクニックに裏打ちされた渋いボクシングには定評があった。2度目の防衛戦では欧州王者のDグリーンと対戦、激しい打撃戦の末、11Rグリーンを大の字にしてKO勝ち、評価を上げた。
プロ3戦目で王座に就いたセンサクは怪物ボクサーだった。石松をKOしたその足で夜の街へ繰り出し、風俗店を3軒アタックしたという。スロースターターでも有名だったが、とにかく打たれ強く、サウスポー・スタイルから繰り出す重いパンチで挑戦者をマットに沈めていった。
左手1本で藤をあしらったローチェは“イントカブレ”(スペイン語でアンタッチャブルの意味)と呼ばれ、鉄壁のディフェンスを誇った。藤に挑戦した時点で既に100戦を越すキャリアをこなしていたのも凄い。
欧州スタイルの技巧派アルカリは、減量苦の為王座を返上するまでタイトルを9度守った実力派王者だった。
派手さには欠けたが、イタリアのリング史上屈指の名王者と称えられている。
ナポレスが対戦を避けたとも言われるエスパダは、パンチの切れも鋭くスマートな試合ぶりに定評があった。
しかし、Cグレイとの決定戦は、プエルトリコのファンさえナポレスを真の王者と認めていた為、スタジアムは
ガラ空きだったという。
ナポレスに引導を渡した男として歴史に名を残すのがストレーシーだ。「マンテキーヤは私のアイドルだった。
彼の偉大さは敗れた今も変わらない。もう彼に試合をして欲しくない」ストレーシーの言葉が印象深い。
【70年代ウェルター級王座変遷】
永らく無冠の帝王と呼ばれていたナポレスがコークスを破り、王座に就いたのが69年4月。キューバ出身の黒人王者はテクニック、パンチ、タフネスと全ての面で卓越していたが、カットし易いまぶたの古傷がウィークポイントだった。3度の防衛に成功した後、70年12月ナポレスは古傷のアクシデントでバッカスに敗れ、王座を明け渡してしまう。だが、翌71年6月の再戦では4RKOであっさりとタイトルを取り返している。
75年5月、統一世界ウェルター級チャンピオンだったナポレスはエスパダとの対戦を勧告するWBAに対し、ムニスとの再戦契約にサインして、WBAタイトルを返上。WBAはエスパダとクライド・グレイの間で決定戦を行い、エスパダが判定勝ちして新チャンピオンとなった。ジョニー・ガントを降して初防衛に成功したエスパダだが、2度目の防衛戦では当時無名のクエバスに番狂わせの2RKO負けを喫した。
“ヤング・ライオン”クエバスのケタ外れの強打はウェルター級を席巻した。初防衛戦で辻本を6RKOに降すと、2度目の防衛戦ではNO.1の技巧派といわれたMカンパニーノも2Rで粉砕。エスパダはアゴを割られ返り討ち。実力者Hウェストンは病院送りと快進撃を続けた。しかし、王者になって次第にハングリー精神を失っていったクエバスはシールズ戦を境に次第に生彩を欠いて行き、80年8月、12度目の防衛戦でハーンズの戦慄的な強打の前にマットに沈んだ。
WBAタイトルを返上し、WBCのみの公認となったナポレスは晩年は衰えが目立ち始め、75年12月英国の伏兵、ジョン・ストレーシーに6RTKO負けでWBC王座を失った。ストレーシーはHルイスをKOして初防衛に成功したが、2度目の防衛戦でパロミノに12RKOで敗れた。パロミノは渋いテクニックと切れのある左フックで安定政権を築き、7度(5KO)の防衛に成功した。78年2月にはラスベガスで竜反町の挑戦を受け、左フックのカウンターで7RKO勝ちを収めている。
79年1月、ウェルター級に転向したベニテスはパロミノに判定勝ちで2階級を制覇。ウェストンに判定勝ちで初防衛に成功したが、
79年11月2度目の防衛戦でレナードに15RTKO負けでタイトルを失っている。
【70年代・WBAウェルター級王者】
■ホセ・ナポレス (メキシコ・王座在位 69年4月18日〜70年12月3日)
しなやかで攻防一体のボクシング、隙のないコンビネーション・ブローは「出すパンチが全てカウンターとなっている」と言われた。永らく無冠の帝王と呼ばれてきたナポレスが、世界に初挑戦したのは69年4月、デビュー11年目、29歳の時だった。しかも本来のJウェルターから1クラス上のウェルター級での挑戦。コークスも実力派の王者だったが、ナポレスはワンサイドのTKO勝ちで王座に就いた。古傷を切って、バッカスに一時タイトルを手渡したが直ぐに奪回。エミール・グリフィス、アーニー・ロペス、ヘッジモン・ルイス、アドルフ・プルートら強豪を相手に通算13度の防衛に成功。74年モンソンのミドル級タイトルに挑んだが、体格差は大きくTKO負け。晩年は衰えから拙戦も目立ち、若いストレーシーにストップされてリングを去った。
1940年生れ(自称)。84戦76勝(54KO)8敗
■ビリー・バッカス(米国・王座在位 70年12月3日〜71年6月4日)
ニューヨーク出身の白人サウスポーで、師でありオジでもある元世界ウェルター、ミドル級王者カーメン・バシリオそっくりのブルファイター。小さい頃からボクシングに親しんだバシリオはアマで活躍した後、1962年にプロ転向。当初はぱっとした成績を上げられず、一時はバシリオの助言で2年半の“引退”を余儀なくされた。再起後は好調で世界1位に登りつめ、ナポレスに挑戦。ナポレスの古傷のアクシデントで4R負傷TKOというラッキーな勝利を収めた。再戦では4RKO負けを喫した。
1943年生れ。73戦48勝(22KO)20敗5分。
■ホセ・ナポレス(メキシコ・王座在位 71年6月4日〜75年5月14日返上)
1940年生れ(自称)。84戦76勝(54KO)8敗
■アンヘル・エスパダ(プエルトリコ・王座在位 75年6月28日〜76年7月17日)
タフで左右フックが得意のボディ・パンチャー。靴磨き少年からボクサーを志し、67年プロデビュー。エディ・パーキンスやマット・ドノバンらのテクニシャンに判定負けするなど当初は目立った存在ではなかったが、アンジェロ・ダンディーをトレーナーにしてから開眼。75年6月ナポレスがエスパダとの指名試合を拒否して返上したWBAタイトルをクライド・グレイと争い、判定勝ちで王座に就いた。メキシコの“ヤングライオン”クエバスには歯が立たず、王座を追われた試合も含め3KO負け。
1948年生れ。57戦43勝(27KO)11敗3分。
■ホセ・ピピノ・クエバス(メキシコ・王座在位 76年7月17日〜80年8月2日)
しばしば対戦相手のアゴを打ち砕いた70年代を代表する強打者。13歳でアマチュアになり、72年に名伯楽ルペ・サンチェスの門下でプロ・デビュー。75年ホセ・パラシオスを10RKOに降してメキシコ王座を獲得したが、世界的には無名に近かった。
76年7月エスパダを2RKOに破り、18歳7ヶ月のウェルター級史上最年少で王座に就いた。初防衛戦で辻本章次を6RKOに降すと以後8連続KO防衛。9度目の防衛戦でライト級上がりのシールズに意外な苦戦を強いられ、判定勝ちに終わる。リッチになってハングリー精神を失っていったクエバスに翳りが見え始め、12度目の防衛戦でハーンズに痛烈な2RKO負けを喫した。王座転落後はデュランに4RKO負けを喫するなど、急激に黒星を重ねていった。
1957年生れ。50戦35勝(31KO)15敗。
【70年代・WBCウェルター級王者】
■ホセ・ナポレス(メキシコ・王座在位 69年4月18日〜75年12月6日)
1940年生れ(自称)。84戦76勝(54KO)8敗。
■ジョン・H・ストレーシー(英国・王座在位 75年12月6日〜76年6月22日)
英国でアマチュアのスターとして活躍、メキシコ五輪にも出場(2回戦敗退)した。69年Lウェルター級の全英王者となった後、プロに転向。欧州ウェルター級王座を獲得した後、75年12月メキシコシティで名王者ナポレスに挑戦。初回にダウンを奪われたものの6Rに王者をメッタ打ちにしてレフェリー・ストップ。ストレーシーは76年ぶりに英国にウェルター級王座をもたらした。タイトルはヘッジモン・ルイスをKOして1度守ったが、2度目の防衛戦でパロミノに敗れた。フルネームはジョン・ヘンリー・ストレーシー。
1950年生れ。51戦45勝(37KO)5敗1分。
■カルロス・パロミノ(メキシコ・王座在位 76年6月22日〜79年1月14日)
メキシカンの血を引くオーソドックスなボクサーファイター。得意の左フックの切れ味は抜群だった。76年6月、敵地ロンドンに乗り込んで時のチャンピオン、ジョン・ストレーシーを12RKOに破り王座を獲得。「ナポレスのタイトルを取り戻せて嬉しい。マンテキーヤの為にも長く王座を守りたい」霧の都でパロミノは喜びを爆発させた。タイトルはアルマンド・ムニス、デイブ・グリーン、龍反町らを相手に7度防衛(5KO)。79年1月、ベニテスに判定負けで王座を失った。79年6月、デュランに判定負けしたのを最後に引退。映画俳優に転じたが、97年1月17年ぶりにカムバック。元王者レネ・アルレドンドに1RTKO勝ちするなど4連続KO勝ち後、世界ランカーのウィルフレド・リベラに敗れ、その場で再引退を表明した。
1949年生れ。38戦31勝(19KO)4敗3分。
■ウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ・王座在位 79年1月14日〜79年11月30日)
ナチュラルなディフェンス勘とスピーディでシャープなパンチを持つ早熟の天才ボクサー。ボクシング好きの父グレゴリオの英才教育を受け、7歳で初試合を行ない、アマで123勝6敗の好成績を上げて15歳でプロに転向。76年3月、名王者セルバンテスを破り、17歳6ヶ月の史上最年少でWBA世界Sライト級王座に就いた。2度防衛後、交通事故のケガの為セルバンテスとの再戦を行なえず、戦わずして王座を追われた。
79年1月パロミノとのハイレベルな技術戦を制し2階級制覇。2度目の防衛戦ではレナードに敗れたが、81年にはモーリス・ホープを12RKOに降し、WBC・Sウェルター級タイトル獲得、3階級を制覇した。2度目の防衛戦ではデュランに判定勝ち。82年3度目の防衛戦でハーンズに判定で敗れ、無冠に。
1958年生れ。62戦53勝(31KO)8敗1分。
■シュガー・R・レナード(米国・王座在位 79年11月30日〜80年6月20日)
アリが去った後、ファンの目を中量級に向けさせた80年代最大のスーパースター。76年モントリオール五輪、Lウェルター級で金メダル獲得後、翌77年2月プロデビュー。79年11月、ベニテスを劇的な最終RTKOに降しウェルター級王座獲得。2度目の防衛戦でデュランに敗れたが、再戦で奪回。カルレを降してWBA・Sウェルター級タイトルも手にした後、81年9月ハーンズとのウェルター級王座統一戦に14RTKO勝ち。網膜剥離のブランクを経て87年4月にハグラーを判定に降し、ミドル級王座も手に入れた。88年11月にはラロンデを9RTKOに破り、WBCSミドルとLヘビーのタイトルを一挙に獲得、5階級を制覇した。89年6月、8年の時を経てハーンズと再戦、2度のダウンを喫したが終盤の追い上げでドローに。91年ノリスに敗れ、引退。97年にはカムバックしてカマチョに5RTKO負けした。
1956年生れ。40戦36勝(25KO)3敗1分。
【70年代・WBA・Sライト級王者】
■ニコリノ・ローチェ(アルゼンチン・王座在位 68年12月12日〜72年3月10日)
アンタッチャブルと呼ばれた鉄壁のディフェンスを誇る技巧派のチャンピオン。68年12月、東京・蔵前国技館で藤猛の強打を完封、左ジャブで王者をあしらって10R棄権によるKO勝ちでタイトルを奪取。防衛戦はいずれも地元ブエノスアイレスのルナ・パーク・スタジアムで行い、5度の防衛に成功した。しかしセルバンテス戦等、しばしばホームタウン・デシジョンの疑惑も呼んだ。そして初の海外(パナマ)遠征でアルフォンソ・フレーザーに敗れた。73年、セルバンテスの持つWBAタイトルに挑戦したが、9RKOで敗れている。
1939年生れ。136戦118勝(14KO)4敗14分。
■アルフォンソ・フレーザー(パナマ・王座在位 72年3月10日〜72年10月29日)
“ペパーミント”の愛称を持つ長身のボクサー・ファイター。72年3月、ニコリノ・ローチェを地元パナマに迎え、判定勝ちでWBA・Sライト級タイトルを奪取。6月、1位のアル・フォードを5RKOに降し初防衛に成功した。72年10月アントニオ・セルバンテスの挑戦を受け、9Rまで一進一退の攻防の末に10RKOで敗れ、王座を失った。翌73年5月にリターンマッチに臨んだが、王者になって自信をつけたセルバンテスは強く、計5度のダウンを奪われた末、痛烈な5RKO負けを喫し王座返り咲きは成らなかった。
1948年生れ。63戦44勝(29KO)17敗2分。
■アントニオ・セルバンテス(コロンビア・王座在位72年10月29日〜76年3月6日)
愛称はキッド・パンベレ。長身を利した左ジャブ、左フックのカウンターは芸術的な冴えがあった。オールラウンドのテクニシャンでパウンド・フォー・パウンドの最強と称されたこともある70年代屈指の名王者だった。世界初挑戦はローチェの地元ブエノスアイレスで際どい判定に敗れたが、72年10月Aフレーザーを10RKOに降し、王座に就いた。73年には古山戦を含め5度の防衛に成功し“戦うチャンピオン”の名を欲しいままにした。76年、10度守ったタイトルをベニテスに奪われたが、Cヒメネスとの決定戦に6RKO勝ちを収め王座復帰。通算16度のタイトル防衛に成功したが、30歳を優に越えたセルバンテスはさすがに衰えが隠せず、80年8月プライアーのアタックに沈んだ。
1945年生れ。79戦66勝(37KO)12敗1分。
■ウィルフレッド・ベニテス(プエルトリコ・王座在位 76年3月6日〜76年12月返上)
1958年生れ。62戦53勝(31KO)8敗1分。
■アントニオ・セルバンテス(コロンビア・王座在位77年6月25日〜80年8月2日)
1945年生れ。79戦66勝(37KO)12敗1分。
【70年代・WBC・Sライト級王者】
■ペドロ・アデグ(比国・王座在位 68年12月14日〜70年1月31日)
統一チャンピオンだった藤猛が交通事故のため1年間防衛戦を行なわず、WBCモンタノ会長はペドロ・アデグとの防衛契約を履行しないとの理由で藤のタイトルを剥奪。68年12月、ケソン市でアデグとアドルフ・プルートとで決定戦が行なわれ、アデグが判定勝ちで初代WBC王座に就いた。69年10月には来日して、当時12連勝(11KO)中の輪島公一とノンタイトルで対戦。右フック1発で初回KO勝ち、世界の貫禄を見せた。70年1月ブルーノ・アルカリに判定で敗れ、王座を失った。
1943年生れ。61戦35勝(13KO)20敗6分。
■ブルーノ・アルカリ(イタリア・王座在位 70年1月31日〜74年8月返上)
サウスポーで欧州スタイルのテクニシャン。デビュー戦ではいきなりKO負けだったが、その後は11戦目のKO負けを最後に連戦連勝。66年イタリア王座、68年欧州王座と順調に勝ち進み、70年1月地元ローマにペドロ・アデグを迎え、激しい打ち合いの末判定勝ちで王座を手に入れた。ドミンゴ・コルパスとの5度目の防衛戦では、観客の投げたコインが挑戦者のヒザを直撃、そのままKOとなる珍事件もあった。74年8月、減量苦の為タイトルを返上。9度の防衛に成功するなど、地味だったが実力派の王者だった。
1942年生れ。73戦70勝(38KO)2敗1分。
■ペリコ・フェルナンデス(スペイン・王座在位 74年9月21日〜75年7月15日)
74年9月ローマでアルカリが返上したタイトルをライオン古山と争い、2−1の判定で新王座に就いた。貝のようにガードを固め、ディフェンシブなフェルナンデスに対し、古山は終始攻勢を取ったが決定打は奪えず。解説を務めた小林弘氏が泣いて抗議するなど議論を呼ぶ判定だった。アルカリに2度挑戦したことのあるベテラン、ジャン・エンリケを逆転KOに降して初防衛したが、センサクに8RKOで敗れ無冠に。77年6月の再戦でも判定で敗れた。79年には来日して日本のホープ大久保克弘に8RKO勝ちしている。
1952年生れ。125戦82勝(47KO)28敗15分。
■センサク・ムアンスリン(タイ・王座在位 75年7月15日〜76年6月30日)
センサクはジムの名称で、本名はブーンソン・モンスリ。タイ式では71年にJウェルター級王者になっている。73年にはアマ資格も無視して、東南アジア半島大会にちゃっかり出場、優勝している。74年11月国際式第1戦で世界ライト級2位ルディ・バロを1RでKO。75年2月には世界Sライト級2位だったライオン古山に7RTKO勝ち。75年7月ペリコ・フェルナンデスを8RKOに破り、僅か3戦目で世界王座に就いた。ベラスケスにはゴング後のパンチで倒して失格負けしたが、再戦では2RKOであっさり奪回。タイトルは古山、ブルックス、石松、マンビーらを相手に通算7度守っている。
1950年生れ。20戦14勝11KO)6敗。
■ミゲル・ベラスケス(スペイン・王座在位 76年6月30日〜76年10月29日)
アマ時代には東京オリンピックにも出場した技巧派。66年にプロ入り後、70年にはブキャナンを破り、欧州王座に就いたが、一時引退。75年7月センサク挑戦のチャンスを掴んだ。試合はセンサクが2Rと3Rにダウンを奪うなどベラスケスを圧倒。4Rゴング終了後にセンサクは左フックでベラスケスを倒してしまい、そのまま5分近く起き上がれなかった為、センサクの失格負け。32歳にしてラッキーな戴冠を果たしたベラスケスだが、再戦では2RKOでタイトルを奪回されてしまった。
1944年生れ。73戦66勝(33KO)4敗3分。
■センサク・ムアンスリン(タイ・王座在位 76年10月29日〜78年12月30日)
1950年生れ。20戦14勝11KO)6敗。
■金 相賢(韓国・王座在位 78年12月30日〜80年2月23日)
サウスポーでスピードのあるボクサー・ファイター。73年プロ・デビュー。77年インドネシアでウォンソ・スセノの持つ東洋・太平洋タイトルに挑戦したが判定負け。翌年釜山でモイセス・カントハを降して東洋・太平洋王座獲得。元ランカーのトンタ・キャットワーユパックをKOするなど勢いに乗ってセンサクの持つWBCタイトルに挑戦。ブランクによるセンサクの不調もあって、13RKO勝ちで王座に就いた。2度目の防衛戦で来日し、用階政弘に11RKO勝ち。3度目の防衛戦でソウル・マンビーに14RKO負けした。
1955年生れ。48戦41勝(24KO)4敗3分。
<年代別>
■1970年 ■1971年 ■1972年 ■1973年 ■1974年 ■1975年 ■1976年
■1977年 ■1978年 ■1979年
<階級別>
■フライ級 ■バンタム級 ■フェザー級 ■ライト級 ■ウェルター級 ■ミドル級
■Lヘビー級 ■ヘビー級
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