▼ 70年代特集 ライト級】
<年代別>
■1970年 ■1971年 ■1972年 ■1973年 ■1974年 ■1975年 ■1976年 
■1977年 ■1978年 ■1979年
<階級別>
■フライ級 ■バンタム級 ■フェザー級
 ■ライト級 ■ウェルター級 ■ミドル級 
■Lヘビー級 ■ヘビー級

■70年代の名勝負
 ■70年代「リング」誌最優秀ボクサー ■トップページ



■Light weight
(2001.2.7更新)

▼ライト級ベスト10

 1位   ロベルト・デュラン
 2位
   エステバン・デ・ヘスス
 3位   ベン・ビラフロア
 4位   イスマエル・ラグナ
 5位   アルフレド・エスカレラ
 6位   小林 弘
 7位   ガッツ石松
 8位   ケン・ブキャナン
 9位   ロドルフォ・ゴンザレス
10位   エルネスト・エスパーニャ

70年代のライト級はWBA王者5人、WBC王者6人の計11人(延べ13人)の王者が君臨した。およそ6年半に渡るデュランの統一王座の長期覇権があった為、王者の数は少なくなっている。国別ではパナマ、メキシコ、英国が各2人、米国、スペイン、日本、プエルトリコ、ベネズエラが各1人となっている。
今回のランキングでは絶対数が足りないことから、Sフェザー級から3人の王者をトップ10に入れた。70年代のSフェザー級は充実しており、ベン、エスカレラなど史上に残る名王者が輩出されており、ライト級の王者と比較しても遜色のないものと思われる。

トップ10の1位は、文句なくデュランで決まり。70年代は彼の為にあったと言っていいくらい、その活躍ぶりは傑出している。10連続KOを含む12度の防衛、宿敵ヘススとの3連戦と王座の統一など実績も申し分なく、最近では史上最強のライトはデュランとの評価が定着しつつある。

デュランの最大のライバル、ヘススは切れの良いパンチと接近しても離れても良しのオールラウンドのボクシングでデュランに初黒星をつけるなど、長らくトップで活躍した。同時期にデュラン、セルバンテスという名王者が君臨した為、戴冠は3度目の挑戦と遅かった。

日本にも馴染みの深いベンはベタ足で、フットワークを使う相手にはしばしば苦戦したが、正面きっての打合いには滅法強いサウスポーのファイターだった。柴田、上原を沈めたベンの左フックは強烈な印象を残している。また、至近距離から放った左アッパーで柏葉を倒したシーンも圧巻だった。

ラグナはバンタム、フェザー級で世界1位となった後、ライト級に転向して名王者オルチスを破り、リターンマッチで敗れた後も世界的強豪と敵地で戦いつづけ、殆ど彼らを寄せ付けなかった。バンタム級時代に元王者のエロイ・サンチェスをKO、フェザー級時代にはサルジバルに敗れたが地元判定の声も強かったという。

エスカレラはサルサ踊りを披露するなど陽気なプエルトリカンだった。スピーディな連打とリズミカルなフットワークで、2年半で10度防衛という名王者に成長した。バズソー山辺戦の早過ぎるストップや、タイロン・エベレット戦の逆ホームタウン・デジションが物議をかもしたり波乱も多かった。

“雑草の男”小林は駆け引きに長けた巧いボクシングで当時の日本人世界王者記録の6度防衛を樹立した。中村会長の強豪をぶつけるスパルタ式育成法で何度も挫折を味わいながら成長した実戦派ボクサー。沼田を倒した右クロスは以後、彼の代名詞にもなった。

ご存知、ガッツ石松はイメージとは異なり、左を多用するオーソドックスで頭脳的なボクサーだった。東洋人には厚い壁だったライト級で、ゴンザレス、ブキャナンを破った実力は高く評価していいだろう。

ブキャナンは速いフットワークと鋭い左が武器のテクニシャン。強豪ラグナを降し、王座に就いたがデュランの台頭で短命に終わった。75年の石松戦はさすがに年齢的な衰えを隠せなかった。

ゴンザレスはスピードこそ感じられないものの重い左右フックのしつこい連打でKOを量産した。石松戦で来日した当時は、その高いKO率から一級の王者の呼び声も高かった。

クロード・ノエルを13RKOに降してデュランの後継者の座に収まったエスパーニャは、この時27勝25KO1敗1分と抜群のKO率を誇っていたがケンティに敗れ、短命に終わってしまった。

【70年代ライト級王座変遷】

第35代ライト級チャンピオン、マンド・ラモスは弱冠20歳でタイトルを手にしたが、転落も早かった。「ウェルター級制覇も可能」と言われた有り余る素質を持ちながら、ラモスは天狗になって遊びほうけた。マリファナ所持で捕まりラグナにもKOされて王座を転落。
4年4ヵ月ぶりに王座に返り咲いたラグナは既にピークを過ぎていたが、巧みなアウトボクシングで若き日の石松の挑戦を一蹴している。ラグナからタイトルを奪ったブキャナンは1流のテクニックで王座安泰かと思われたが、新星デュランに屈し3度目の防衛戦でタイトルを失った。

デュランは10連続KO防衛、王座統一などの他にも頻繁にノンタイトル戦をこなすなど正に戦うチャンピオンだった。後の王者石松を10Rでギブアップさせた他、技巧派高山を初回であっさりフィニシュ、日本のファンの度肝を抜いた。連続KO防衛の中には強豪Lオルチス、Rラムキンを完全失神に葬るなど桁外れの強さを誇った。ヘススとの3連戦はいずれも史上に残る名勝負となり、78年1月の第3戦でWBC王者に君臨していたヘススを12RKOに降し統一王者となった。
翌年デュランが返上したタイトルは1位エスパーニャと2位クロード・ノエルの間で決定戦が行なわれ、エスパーニャがKOでWBAの新王座に就いている。

WBCの初代王座決定戦はカラスコがラモスに失格勝ちで王座に就いたが、後にノーコンテストとなる。3ヵ月後の再戦ではラモスが判定勝ちしてWBC王座に返り咲いた。91連勝の快記録がストップしたカラスコだったが、所詮はスペインのローカル相手に作られた記録という印象が強かった。私生活の乱れで才能をすり減らしてしまったラモスはカルモナにタイトルを明け渡す。
強打者カルモナもすぐに同国人のゴンザレスに13RKOでタイトルを奪われた。ゴンザレスはナバロ、プドーをKOで退けた後、石松の挑戦を受ける為、来日。石松は絶対不利の予想を覆して東洋人初のライト級王座に就いた。石松は5度の防衛に成功した後、サンファンでヘススに完敗し王座を降りた。

3度目の挑戦でタイトルを手にしたヘススはメディナ、山辺、サルジバルをKOで退け3度の防衛に成功した後、デュランとの王座統一戦に敗れ、無冠となった。デュランのタイトル返上後の決定戦でワットが、新鋭アルフレド・ピタルアをストップして新王座に就いた。ワットは4度の防衛に成功した後、アルゲリョに敗れ、王座を失っている。

【70年代・WBAライト級王者】

■マンド・ラモス(米国・王座在位 69年2月18日〜70年3月3日)

180センチの長身でパンチ力も抜群、早くから天才ボクサーとして期待され、68年に世界Jライト級チャンピオン小林弘をノンタイトルで判定に降す殊勲を挙げた。翌69年には2度目の挑戦でカルロス・テオ・クルスを11RKOに破り、弱冠20歳の若さで王座に就いた。沼田の挑戦をKOで退け初防衛に成功するも、その1ヶ月後にマリファナ所持で逮捕されるなど“自らの戦い”に負けたラモスの転落は早く、ラグナに9RKO負けで王座を失った。その後カラスコに勝ってWBC王座に返り咲くが、2度目の防衛戦でカルモナに8RKOで敗れた。
1948年生れ。49戦37勝(23KO)11敗1分。

■イスマエル・ラグナ(パナマ・王座在位 70年3月3日〜70年9月26日)

180センチの長身と敏捷な身のこなし、スピーディなストレートパンチで、2度王座に就いたパナマの国民的アイドル。65年4月、名王者カルロス・オルチスを判定に降し初の王座に就いたが、これはアル・ブラウン以来パナマ史上2人目、実に30年ぶりの快挙だった。この王座は7ヵ月後のリターンマッチでオルチスに判定で敗れ失うが、その後もトップ・コンデンターとして活躍し、70年にラモスをストップして王座に返り咲いた。既に晩年にさしかかっていたラグナだが、若き日の石松の挑戦を巧みなアウトボクシングで一蹴している。
1943年生れ。74戦64勝(36KO)9敗1分。

■ケン・ブキャナン(英国・王座在位 70年9月26日〜72年6月26日)

華麗なフットワークと天下一品の左ジャブ、スコットランド生まれのブキャナンはライト級屈指の技巧派チャンピオン。70年9月サンファンでラグナに挑戦、文句のない判定でこの強豪を破りタイトルを奪った。しかし、英国はWBC傘下の為、自国ではWBAタイトルを認められず、ブキャナンは国外での試合を余儀なくされる。72年6月、ニューヨークのMSGでロベルト・デュランの挑戦を受け、13RKO負け。ローブローを訴えるブキャナンの抗議は通らなかった。その後は欧州王座を守りながらチャンスを待ち、75年2月石松に挑戦したが、全盛期の冴えは全く見られず判定負けしている。
1945年生れ。70戦62勝(28KO)8敗。

■ロベルト・デュラン(パナマ・王座在位 72年6月26日〜79年1月2日返上)

説明不要の現代のヒーロー。メキシコ人の父ととパナマ人の母との間に生まれ、少年時代は靴磨きをしながらストリート・ファイトに明け暮れた。パナマのスラム街の少年は後にニューヨークの2人のベテラン・トレーナー、レイ・アーセルとフレディ・ブラウンに見出され、天性の素質を開花させた。フェザー級時代にはエルネスト・マルセル、小林弘をKO。ライト級に上がって72年6月、ブキャナンをラフ・ファイトに巻き込んでKOに屠り、先輩王者ラグナの失ったタイトルを奪回した。ライバルのヘススとは初戦ではノンタイトルで初黒星を喫したが、王座を賭けた再戦、78年の統一戦といずれもKOで勝っている。ライト級のタイトルは12度防衛(11KO)後、返上し、ウェルター、Jミドル、ミドルのタイトルを加え、4階級制覇を達成した。
1951年生れ。118戦103勝(69KO)15敗。

■エルネスト・エスパーニャ(ベネズエラ・王座在位 79年6月16日〜80年3月2日)

ベネズエラのカラカス生まれのエスパーニャだが、プエルトリコのサリナス・プロモーターと契約を交わし、サンファンをホームリングとして活躍。79年6月、王座決定戦でクロード・ノエルを13RKOに降し、デュランが返上して空位となっていたWBA王座に就いた。タイトルはジョニー・リラをKOして1度守った後、80年3月にヒルマー・ケンティのスピードについていけず、9Rレフェリー・ストップでタイトルを手放した。元WBA世界ウェルター級王者のクリサント・エスパーニャは10歳違いの弟にあたる。
1954年生れ。43戦36勝(29KO)7敗。

【70年代・WBCライト級王者】

■ペドロ・カラスコ(スペイン・王座在位 71年11月5日〜72年2月18日)

91連勝の快記録を誇るカラスコだが、世界戦ではあまり芳しい印象は残していない。ラモスとの初戦は71年11月、WBCの初代王座決定戦として挙行され、1、11Rにダウンを喫しながらも12Rにレフェリーが「ラモスの右は反則打だった」としてカラスコのラッキーな失格勝ち。これは後にノー・コンテストに判定が覆され、タイトルも剥奪の憂き目に遭う。3ヵ月後の再戦ではラモスに判定負けして連勝記録も91でストップした。さらに6月の第3戦にも判定で敗れている。去る1月27日に自宅で死亡しているのを発見された。享年57歳。
1943年生れ。109戦105勝(67KO)3敗1分。

■マンド・ラモス(米国・王座在位 72年2月18日〜72年9月15日)

1948年生れ。49戦37勝(23KO)11敗1分。

■チャンゴ・カルモナ(メキシコ・王座在位 72年9月15日〜72年11月10日)

72年9月、時のWBC王者ラモスに挑戦。ロスの人気王者もこの頃はピークを過ぎ、マリファナ常習や性病にかかったとも噂されるなど、カルモナにとっては千載一遇のチャンスでもあった。8RKOで見事タイトル奪取に成功したカルモナだったが、僅か2ヵ月後の72年11月、同国人のゴンザレスに13RKO負けで王座を失った。73年7月にはロスに遠征してきた日本のホープ、門田新一と対戦、8RKOで敗れている。
1944年生れ。58戦45勝(37KO)11敗2分。

■ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ・王座在位 72年11月10日〜74年4月11日)

70年12月、後の名王者アントニオ・セルバンテスに8RKO負けで挫折を味わうが、72年11月の世界初挑戦でカルモナを13RにKO、WBCライト級王座に就いた。ルーベン・ナバロ、アントニオ・プドーを倒し、並立王者のデュランと比肩される程のハードパンチャーと称された。74年4月に日本のガッツ石松の挑戦を受け、初来日。ラグナ、デュランにKOされている石松に勝ち目はないと思われたが、8Rに幻の右を直撃されたゴンザレスは大番狂わせの8RKO負けを喫して3度目の防衛に失敗。再戦でも12RKOで返り討ちされた。
1945年生れ。64戦56勝(43KO)7敗1分。

■ガッツ石松(日本・王座在位 74年4月11日〜76年5月8日)

70年ラグナ(13RTKO)73年デュラン(10RKO)と2度の世界挑戦に失敗した鈴木石松は、ガッツ石松と改名して74年4月強打のチャンピオン、ロドルフォ・ゴンザレスに挑戦。圧倒的不利の予想を覆してゴンザレスを8RKOに破り、東洋人初のライト級王座に就いた。自ら命名したフィニッシュ・ブローの「幻の右」は以後トレードマークとなった。ゴンザレスを返り討ちにしたのをはじめ、元王者ブキャナンらを相手に5度の防衛に成功。76年5月プエルトリコでヘススにワンサイドで敗れ、王座を失った。
1949年生れ。51戦31勝(17KO)14敗6分。

■エステバン・デ・ヘスス(プエルトリコ・王座在位 76年5月8日〜78年1月21日)

1969年に17歳でデビュー以来、1ヶ月に2度も3度も試合をこなし僅か3年3ヶ月、29戦目でプエルトリコ・ライト級王座に就くなど順調に出世街道を歩んだ。72年11月にはデュランからダウンを奪い、10R判定で快勝。74年3月のタイトルを賭けた再戦では11RKOで敗れた。75年5月セルバンテスのWBA・Jウェルター級タイトルに挑戦して判定負けした後、76年5月石松に快勝して王座に就いた。このタイトルは3度防衛後、78年1月宿敵デュランとの王座統一戦で12RKO負けで無冠となった。
1951年生れ。62戦57勝(32KO)5敗。

■ロベルト・デュラン(パナマ・王座在位 78年1月21日〜79年1月2日返上)

1951年生れ。118戦103勝(69KO)15敗。

■ジム・ワット(英国・王座在位 79年4月17日〜81年6月20日)

79年4月、デュランが返上して空位となっていたWBA王座を1位のアルフレド・ピタルアと争い、12Rにメッタ打ちにしてTKO勝ち、王座に就いた。スコットランドが生んだ世界チャンピオンとしては5人目、サウスポーの王者はライト級史上初めてであった。ハワード・デービス、シーン・オグラディなど強豪を退け、4度のタイトル防衛に成功。81年6月、5度目の防衛戦に3階級制覇を狙うアルゲリョをチャレンジャーとして迎え入れ、7Rに連打でダウンを奪われ判定負け、王座を失った。
1948年生れ。46戦38勝(27KO)8敗。

【70年代・WBA・Sフェザー級王者】

■小林 弘(日本・王座在位 67年12月14日〜71年7月29日)

17歳でデビュー以来、19連勝で「第二の矢尾板」と期待されるが、菊池万蔵とダウン応酬の日本フェザー級王座決定戦で判定負けを喫して以後4連敗。敢えて強豪をぶつけ逞しく変身させる中村会長流の育成法だった。再び19連勝を記録すると次は海外での試練を課せられ、南米、メキシコ、ロスで2勝2敗2分の成績を残した。一段と成長した小林は 67年12月、初の日本人同士の世界戦で王者の沼田を12RKOに破り王座に就いた。以後、アマヤ、カネテ、アルレドンドらの挑戦を退け、6度の防衛に成功。これは当時の新記録だった。
1944年生れ。75戦61勝(10KO)10敗4分。

■アルフレド・マルカノ(ベネズエラ・王座在位 71年7月29日〜72年4月25日)

小林の7度目の防衛戦の相手として来日したマルカノは中堅のランカーで、71年2月にベネズエラに遠征した千葉信夫に6RKO勝ちした他、アルレドンドと1勝1分、レイ・ベガとは1勝1敗の成績を残していた。71年5月にはマルセルに判定負けしたばかりで小林優位は動かないと見られていたが、マルカノは10R逆転KOで王座をベネズエラに持ち帰った。岩田健二を4RKOに降しタイトルを1度防衛した後、72年4月ハワイでビラフロアに判定負けして王座を失った。
1947年生れ。60戦42勝(28KO)13敗5分。

■ベン・ビラフロア(比国・王座在位72年4月25日〜73年3月12日)

ハワイをホームリングとし、ラウル・クルス、レイ・ベガ、フランキー・クロフォード、ホセ・ルイス・ロペスと強豪を次々とKOして、72年4月マルカノの王座に挑戦。判定で新王座に就いたベンはまだ19歳4ヶ月の若さだった。2度目の防衛戦で柴田のフットワークとスピードに強打を封じられ王座を失うが、半年後の再戦では左フック一発で柴田を初回でKO、タイトル奪回に成功した。アポロ、上原、柏葉ら日本人チャレンジャーを退けたのをはじめ5度の防衛に成功。76年10月、セラノとの再戦に判定負けして王座を失った。
1952年生れ。74戦62勝(34KO)5敗7分。

■柴田国明(日本・王座在位 73年3月12日〜73年10月27日)

史上に残る天才パンチャーだったが打たれモロさを併せ持っていた。65年にデビュー以来20連勝(15KO)。68年ホーキンスににKO負けして初黒星。さらに翌年、ハーバート康を一方的に攻めながらアゴの弱さをつかれ6回逆転KO負けを喫した。70年、1階級上の世界ランカー、ホセ・アコスタと引き分けて世界ランク入り。同年12月、敵地でメキシコの英雄、サルジバルに13RTKO勝ちでWBC王座に就いた。初防衛戦ではクルスを豪快な初回KOに降した。3度目の防衛戦でタイトルを失うとSフェザー級に転向。73年3月、ハワイでビラフロアを攻略して2階級制覇。リターンマッチでビラフロアの強打に沈むも、4ヵ月後にアルレドンドを破って3度目の世界タイトルを手にしている。
1947年生れ。56戦47勝(25KO)6敗3分。

■ベン・ビラフロア(比国・王座在位73年10月27日〜76年10月16日)

1952年生れ。74戦62勝(34KO)5敗7分。

■サムエル・セラノ(プエルトリコ・王座在位76年10月16日〜80年8月2日)

76年4月の世界初挑戦ではベンと引分けで涙をのんだが、半年後の再戦では大差の判定勝ちを収め、王座に就いた。パワー不足ではあったが巧妙なアウトボクシングで、アポロ、丸木、風間らの日本人挑戦者を含め10度の防衛に成功した。期待の大きかった風間を翻弄した試合では、世界レベルのテクニックを日本のファンに印象付けている。80年8月、上原を一方的に攻めながら6Rに右フック一発でKO負けを喫する大番狂わせで王座を滑り落ちている。。
1952年生れ。54戦49勝(17KO)4敗1分。

【70年代・WBC・Sフェザー級王者】

■沼田義明(日本・王座在位 70年4月5日〜71年10月10日)

TVボクシング最盛期の昭和36年、TBSと極東プロモーションで企画した「ボクシング教室」出身で、極東ジム会長の「小高理論」で徹底的に鍛え上げられた。1966年、エロルデを小差の判定で破り東洋ライト級王座を奪取。翌67年6月にエロルデの持つ世界Sフェザー級タイトルに挑戦、2−0の判定で王座に就いた。67年12月初の日本人同士の世界戦で小林に12RKO負けで王座転落。ラモスのライト級王座挑戦に失敗(6RKO負け)した後、70年4月にレネ・バリエントスを判定に降しWBCで王座に返り咲いた。元フェザー級王者のラウル・ロハスを逆転KOで破るなど3度の防衛に成功。71年10月、アルレドンドに10RKO負けで王座を失った。
1945年生れ。55戦44勝(12KO)8敗3分。

■リカルド・アルレンド(メキシコ・王座在位 71年10月10日〜74年2月28日)

71年3月の世界初挑戦(WBA)は小林の巧さにかわされ判定負け。10月、2度目の挑戦で沼田から3度のダウンを奪い10RKO勝ち、WBC王座に就いた。岡部(12RKO)アポロ(判定)柏葉(6RKO)ら5人の挑戦を退けたが、74年2月に柴田に大差の判定負けで王座を明け渡した。アルレドンドは通算8度(6勝4KO2敗)の世界戦を戦い、うち6人の日本人ボクサーとグローブを交えている。(4勝3KO2敗)元WBC・Sライト級王者のレネとロベルト(チバ)の2人は実弟。
1949年生れ。99戦76勝(57KO)22敗1分。

■柴田国明(日本・王座在位 74年2月28日〜75年7月5日)

1947年生れ。56戦47勝(25KO)6敗3分。

■アルフレド・エスカレラ(プエルトリコ・王座在位75年7月5日〜78年1月28日)

75年7月、柴田の挑戦者として来日したエスカレラは普通の中堅どころで試合は王者の楽勝と見られていた。ところがエスカレラのスピーディな連打にマットに沈んだのは柴田の方だった。衝撃的な2RKOで王座に就いたエスカレラは精力的に防衛戦をこなし、王座在位2年半でエロルデの持つ同級の記録に並ぶ10度の防衛に成功している。3度目の防衛戦のバズソー山辺戦では早過ぎるストップが議論を呼んだが、再戦では文句のない判定で決着。78年1月、アルゲリョに13Rストップ負けでタイトルを失った。1952年生れ。69戦52勝(30KO)14敗3分。

■アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア・王座在位78年1月28日〜80年4月27日)

74年、エルネスト・マルセルの持つWBAフェザー級タイトルに挑んで善戦(判定負け)したアルゲリョは同年11月、ルーベン・オリバレスを13RKOに破り、WBAフェザー級王座に就いた。4度の防衛戦を全てKOで飾り、フェザー級で無敵の強さを誇ったアルゲリョはタイトルを返上し、Sフェザー級に転向。78年1月、敵地サンファンでエスカレラを13Rにストップして2つ目のタイトルを手に入れた。リモン、チャコン、カスティーヨ、ナバレッテらを倒し8度(7KO)の防衛に成功している。
1952年生れ。89戦81勝(65KO)8敗。



<年代別>
■1970年 ■1971年 ■1972年 ■1973年 ■1974年 ■1975年 ■1976年 
■1977年 ■1978年 ■1979年
<階級別>
■フライ級 ■バンタム級 ■フェザー級
 ■ライト級 ■ウェルター級 ■ミドル級 
■Lヘビー級 ■ヘビー級

■70年代の名勝負
 ■70年代「リング」誌最優秀ボクサー ■トップページ



[PR]湘南美容外科で働きませんか?:全国19院。医師、看護師ほか募集中