<年代別>
■1970年 ■1971年 ■1972年 ■1973年 ■1974年 ■1975年 ■1976年
■1977年 ■1978年 ■1979年
<階級別>
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■70年代のフェザー級
▼フェザー級ベスト10
1位 アレクシス・アルゲリョ
2位 エウセビオ・ペドロサ
3位 ウィルフレド・ゴメス
4位 エルネスト・マルセル
5位 柴田国明
6位 西城正三
7位 アントニオ・ゴメス
8位 ダニー・ロペス
9位 ボビー・チャコン
10位 デビッド・コティ
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(2000.12.10更新)
フェザー級には各年代ごとに名王者が輩出されている。40年代のウィリー・ペップ、50年代のサンディ・サドラー、60年代のビセンテ・サルジバル、そして70年代のアレクシス・アルゲリョ・・・更には80年代のサルバトル・サンチェス、90年代に入ってナジーム・ハメドと、その伝統は受け継がれている。
70年代のフェザー級はWBA王者8人、WBC王者10人の計17人(延べ18人)の王者が君臨した。国別で見るとメキシコとパナマがそれぞれ3人、米国、日本、スペインが各2人、ベネズエラ、ニカラグア、スペイン、オーストラリア、ブラジル、ガーナが各1人と実に11ヶ国にタイトルが行き渡っている。
17人の王者の内、サルジバル、レグラは60年代の選手とみなし除外、ジョフレもバンタム級で評価すべき選手なので対象外とした。
1位は70年代の中量級を代表するスタイリッシュな強打者アルゲリョ。ロイヤル小林戦で日本のファンに強烈な印象を残した一戦はあまりにも衝撃的だった。4度の防衛戦をいずれもKOで片付けたフェザー級時代はまさに昇り龍の勢いだったといっていいだろう。
ペドロサはテクニックを駆使して負けないボクシングで一時代を築いた。一部では並立王者だったサルバドル・サンチェスより高く評価される程だった。来日してR小林、S根本を全く寄せ付けず、一流のテクニックを披露している。
Sバンタム級で17連続KOのゴメスも70年代を代表するKOアーチストとしてはずせない。R小林を沈めた芸術的な左フックが忘れられない。カンの良さとスピーディなボクシング、絶妙のタイミングで倒す“真のKOスペシャリスト”だった。
マルセルは初挑戦で柴田を圧倒しながら不運な引分けに泣いたが、翌年ゴメスを圧倒しWBA王座に就いた。長身のスピード・スターで、若き日のアルゲリョにも勝っている。
柴田は天性のハード・パンチとスピーディでリズミカルなボクシングが魅力だった。サルジバルを攻略した一戦は日本ボクシング史に残る金字塔といっていいだろう。クルスを豪快に沈めた初防衛戦も衝撃的だった。
ロペスは挫折を味わいながらもタフな精神力で世界の頂点に立った。スロー・スターターでしばしばダウンを喫したが、持ち前の闘争心と天性の強打で逆転KOを演じている。
ゴメスは西城をKOした試合で圧倒的な強さを見せつけたが意外にも短命に終わり、ライト級に転向してからもパッとせず負けが込んだ。
“シンデレラ・ボーイ”西城はロハス戦が圧巻だった。フットワークを駆使したスピーディなボクシングで王者を圧倒、日本人として初めて海外でタイトルを獲得した。ラウンド終盤でのラッシュも有名になり米国ではフレーザー、フラッシュのニックネームがついた。
チャコンは早くからロスのホープとして期待されたメキシコ系の強打者。30歳を過ぎて2階級制覇は立派だ。
コティは欧州スタイルの堅実なボクシングと抜群の身体能力が融合した、いかにもブラック・アフリカンらしいテクニシャンだった。
【70年代フェザー級王座変遷】
シュガー・ラモスを倒して60年代に一時代を築いたビセンテ・サルジバルは関、ウィンストン、ロハスら一流どころを退け8度の防衛に成功、67年に王者のまま引退した。以後タイトルは分裂し、WBAの方は典型的なアメリカン・ファイター、ラウル・ロハスがコロンビアのエンリケ・ヒギンズを判定に降して王座を獲得。
一方、ヨーロッパを中心として発足したWBCは英国のハワード・ウィンストンと関光徳との間で決定戦を行い、右目をカットした関は不運なストップ負けに泣き、ウィンストンが新王者となった。
ロハスはノンタイトルで日本のスピード・スター西城正三に不覚を取り、68年9月のタイトルマッチでもダウンを奪われ判定負け、虎の子のタイトルを失った。
無名の存在から一気にトップに駆け上がった西城は“シンデレラ・ボーイ”と呼ばれ、現代的なカッコ良さで抜群の人気を誇った。5度の防衛に成功した西城だったが71年9月、6度目の防衛戦でアントニオ・ゴメスにKO負け。3年間守り続けた王座を明け渡した。
ゴメスは2度目の防衛戦でエルネスト・マルセルに判定負け、短命に終わった。マルセルはEガルシア、Aゴメス、根本、Aアルゲリョと4度の防衛に成功した後、リング上で引退を表明。
空位となったWBA王座決定戦で歌川善介に勝ったオリバレスがフェザー級で王座に復帰した。74年11月、オリバレスを逆転KOで破り王座に就いたアルゲリョはテクニックに裏打ちされた抜群の強打でLエルナンデス、Rリアスコ、R小林、Sトーレスの挑戦をことごとくKOで退けた。76年11月、アルゲリョは引退を表明して王座を返上した。
以後タイトルはラファエル・オルテガ→セシリオ・ラストラを経てエウセビオ・ペドロサへと渡った。一流のテクニックで負けないボクシングを展開したペドロサはフェザー級史上最多の19度防衛に成功した。
WBCタイトルはウィンストンから欧州で無冠の帝王と呼ばれていたホセ・レグラが5RKOで王座に就いた。しかし初防衛戦でファメションのフットワークに強打を封じられ僅差の判定負け。ファメションは原田の挑戦を2度退けたが、3度目の防衛戦でカムバックして来たサルジバルに敗れた。
サルジバルの初防衛戦は日本からやって来た柴田国明。サルジバルの楽勝が予想されたが、挑戦者の先制攻撃が巧を奏し王者陣営が13Rにギブアップ、柴田が大金星を射止めた。メキシコからの刺客Rクルスを豪快な初回KOに葬り初防衛に成功した柴田だったが、3度目の防衛戦でクレメンテ・サンチェスの強打にあっさり沈んでしまった。
初防衛戦でウェイトオーバー、王座を失ったサンチェスは老雄レグラに12度のダウンを喫して10回KO負け。約4年ぶりの返り咲きを果たしたレグラも初防衛戦で37歳のジョフレにタイトルを奪われた。
サルジバルを4RKOで破り初防衛に成功したジョフレはタイトルを返上。空位の王座にAマルカノをKOしたボビー・チャコンが就いた。チャコンは2度目の防衛戦でオリバレスにKO負け。
4度目の王座に就いたオリバレスも初防衛戦でデビッド・コティに敗れた。コティはフリッパー上原、シゲ福山と2度の防衛に成功した後、76年11月にダニー・ロペスに王座を奪われた。
ロペスは80年2月、Sサンチェスに敗れるまで8度の防衛に成功している。
【70年代・WBAフェザー級王者】
■西城正三(日本=協栄・王座在位 68年9月27日〜71年9月2日)
国内で無名の存在だった西城に転機が訪れた。68年海外武者修行の話が持ち上がり、メキシコへと飛び立つ。2戦目からロスに腰を落ち着けた西城は世界の強豪に混じりハードなトレーニングで力をつけていった。そしてノンタイトルで世界王者のラウル・ロハスに判定勝ちの殊勲を挙げ、タイトルを賭けた再戦でもダウンを奪って快勝、さっそうと王座に登りつめた。海外でのタイトル奪取は日本人初の快挙だった。5度の防衛に成功した後、71年9月、アントニオ・ゴメスに5RKO負けで王座を失った。スマートでスピーディなボクシング、ルックスの良さも相まって5人の世界王者が林立した70年代でも随一の人気を誇った。
1947年生れ。37戦28勝(8KO)7敗2分。
■アントニオ・ゴメス(ベネズエラ・王座在位 71年9月2日〜72年8月19日)
クマナ出身。西城の初防衛戦で判定負けしたこともある兄ペドロの影響でボクシングを始め、アマで88勝2敗の成績を残す。67年プロデビュー。フェザー級時代のセルバンテスやヘススにも勝っている。71年9月、西城を5RKOに降しタイトルを奪取。オールラウンド型のボクサーで当分王座も安泰と見られたが、2度目の防衛戦でエルネスト・マルセルに判定で敗れ短命に終わった。翌年の再戦でも12RKOで敗れ、ライト級に転向したがかつての勢いはなく負けが込んで引退している。
1944年生れ。49戦40勝(18KO)7敗2分。
■エルネスト・マルセル(パナマ・王座在位 72年8月19日〜74年2月返上)
スラリとした長身から天性のスピード、バネを生かしたアウト・ボクシングでマルカノ、ボラノス、セラノ、アルゲリョら強豪を撃破している名チャンピオン。コロン出身。71年の世界初挑戦は柴田を血まみれにして強打を完封しながら不運な引分けに泣いた。しかし72年8月、ゴメスのWBA王座に挑戦し判定勝ちでタイトルを獲得。3度目の防衛戦では根本に9回KO勝ちしている。74年2月、後の名王者アルゲリョに判定勝ちを収め、4度目の防衛に成功したリング上で引退を表明。母親の希望に従ったものらしいが、それは実にあっさりしたものだったという。
1948年生れ。47戦41勝(24KO)4敗2分。
■ルーベン・オリバレス(メキシコ・王座在位 74年7月9日〜74年11月23日)
バンタム級で2度王座に就いた怪物オリバレスもフェザー級に転向した頃はすっかり神通力を失っていた。それでも尚2度もフェザーの王座を制した底力は大したものだ。74年7月、マルセルの返上したWBAタイトルを歌川善介と争い、7RKOで2階級制覇。初防衛戦でアルゲリョの強打に壮絶な逆転KO負けを喫してタイトルを失った。翌75年6月、ボビー・チャコンの持つWBC王座に挑戦、
ウェイト・コントロールに失敗したチャコンをあっさり2回に沈めて4度目の王座を手に入れた。初防衛戦ではデビッド・コティにダウンを奪われて判定負け。79年、ペドロサに挑戦したが12回KOで敗れた。
1947年生れ。104戦88勝(78KO)14敗2分。
■アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア・王座在位 74年11月23日〜76年11月返上)
75年に初来日、日本期待のハードパンチャー、ロイヤル小林をボディブローで斬って落とした試合は、ファンに強烈な印象を残した。充実期のSフェザー級時代の安定した強さも見事だったが、若くて勢いのあったフェザー級時代のアルゲリョが1番強かったのではないだろうか。74年、エルネスト・マルセルの持つWBAフェザー級タイトルに挑んで善戦(判定負け)したアルゲリョは同年11月、ルーベン・オリバレスを13RKOに破り、WBAフェザー級王座に就いた。レオナル・エルナンデス(8RKO)、リゴベルト・リアスコ(2RKO)
、ロイヤル小林(5RKO)、 サルバドーレ・トーレス(3RKO)と4度の防衛戦を全てKOで飾り、フェザー級で無敵の強さを誇った。しかし76年11月に「学生生活に戻りたい」と引退を発表(後に撤回)、王座を返上した。
1952年生れ。89戦81勝(65KO)8敗。
■ラファエル・オルテガ(パナマ・王座在位 77年1月15日〜77年12月7日)
相手を幻惑するボクシングからついた仇名が“エル・ブルーホ”(魔術師)。70年1月プロデビュー。73年にはパナマ・フェザー級王座決定戦でRリアスコに判定負け。翌年メキシコでCカスティーヨにも敗れたが、76年1月、世界2位の同国人レイナルド・イダルゴをストップして浮上してきた。77年1月、アルゲリョが返上し空位となったWBA王座をフランシスコ・コロラドと争い、判定勝ちで王座に就いた。初防衛戦で来日し、フリッパー上原の挑戦を受け、1回と4回にダウンを奪って判定勝ちしている。同年12月セシリオ・ラストラに判定負けを喫し王座を失った。
1950年生れ。25戦19勝(6KO)3敗3分。
■セシリオ・ラストラ(スペイン・王座在位 77年12月7日〜78年4月15日)
スペインサンタンデル生まれ。アマチュア時代からサウスポーの強打者として知られ109勝12敗の成績を残した。75年にプロデビュー。翌76年には19度もリングに登り、18勝(15KO)1敗。この1敗は初めてマドリッドに出かけて同国人のホセ・カルロス・エルナンデスに8回判定負けしたもの。しかしGコードロン、ローランド・カソー、トミー・グレンクロスら欧州の名のある強豪に勝って実績を作った。77年12月、デビューから2年でオルテガを破りWBA王座に就いた。78年4月、初防衛戦ではペドロサに敗れている。
1951年生れ。48戦39勝(21KO)8敗1分。
■エウセビオ・ペドロサ(パナマ・王座在位 78年4月15日〜85年6月8日)
76年、全盛期のサモラに挑戦(WBAバンタム級タイトル)するも2RKO負け。さらに3ヵ月後、オスカル・アルナルにも6RKO負けで打たれモロさを暴露してしまう。しかし翌年、フェザー級に転向してからは減量苦からも開放されテクニックにも磨きをかけて才能が開花した。78年4月、セシリオ・ラストラを13RTKOに破り王座に就いたペドロサはおよそ7年間で19度の防衛に成功。これはフェザー級の史上最多防衛レコードである。79年1月に来日、ロイヤル小林の強打を完封。翌年にはS根本の挑戦をワンサイドで退け、日本のファンに世界の技術を見せつけた。85年6月、バリー・マクギガンに判定負け、ペドロサの長期政権にピリオドが打たれた。
1953年生れ。50戦42勝(25KO)6敗1分1無効試合。
【70年代・WBCフェザー級王者】
■ジョニー・ファメション(オーストラリア・王座在位 69年1月21日〜70年5月9日)
パリに生れ、後にシドニーに移住。世界的選手だった父レイの手ほどきでオーソドックスなボクシング・スタイルをマスターした。61年にプロデビューし、69年にホセ・レグラを判定に降しWBC王座を獲得。原田との初防衛戦では3度のダウンを奪われながらも判定勝ち、地元判定と言われた。再戦では原田をロープ外に叩き出し14回KO勝ちしている。3度目の防衛戦でカムバックしてきたサルジバルに13回にダウンを喫するなどいいところなく判定で敗れた。引退後は一時レーサーもやっていた。
1946年生れ。67戦56勝(20KO)5敗6分。
■ビセンテ・サルディバル(メキシコ・王座在位 70年5月9日〜70年12月11日)
メキシコ市出身。サウスポースタイルからの激しいインファイトでファンを魅了した。17歳でローマ五輪に出場、この時は初戦で敗退。61年プロデビューした。64年9月、強打のラモスに挑戦し12RKOで王座に就いた。5度目の防衛戦では関光徳とダウン応酬の激戦を演じて判定勝ち。再戦では7RKO勝ちを収めた。その後、ハワード・ウィストンに連勝して8度の防衛に成功した後、王座を返上し一時引退。2年後にカムバックして70年5月、ファメションに判定勝ちしてWBC王座に返り咲いた。しかしピークを過ぎたかつてのヒーローは初防衛戦で日本の若きハードパンチャー柴田に敗れ無冠に。74年にはジョフレのWBC王座に挑戦したが、4RKOで敗れた。
1943年生れ。39戦36勝(25KO)3敗。
■柴田国明(日本=ヨネクラ・王座在位 70年12月11日〜72年5月19日)
史上に残る天才パンチャーだったが打たれモロさを併せ持っていた。65年にデビュー以来20連勝(15KO)。68年ホーキンスにKO負けして初黒星。さらに翌年、ハーバート康を一方的に攻めながらアゴの弱さをつかれ6回逆転KO負けを喫した。70年、1階級上の世界ランカー、ホセ・アコスタと引き分けて世界ランク入り。同年12月、敵地でメキシコの英雄、サルジバルに13RTKO勝ちでWBC王座に就いた。初防衛戦ではクルスを豪快な初回KOに降した。3度目の防衛戦でタイトルを失うとSフェザー級に転向。73年3月、ハワイでビラフロアを攻略して2階級制覇。リターンマッチでビラフロアの強打に沈むも、4ヵ月後にアルレドンドを破って3度目の世界タイトルを手にしている。
1947年生れ。56戦47勝(25KO)6敗3分。
■クレメンテ・サンチェス(メキシコ・王座在位 72年5月19日〜72年12月16日)
モンテレー出身。63年プロ入り。72年5月、柴田の3人目の刺客として来日。サルジバル、クルスとKOした柴田はメキシカン・キラーと言われ、地元メキシコでもサンチェスのチャンスは薄いと見られていた。試合は静かな立ち上がりだったが、第3Rにサンチェスが放った一瞬のワンツーで柴田はキャンバスに沈み10カウントを聞いた。衝撃の奪取劇を演じたサンチェスだったが、7ヵ月後の防衛戦ではウェイトを作れずタイトルを剥奪された。おまけに試合ではレグラに10回でKOされるまでに12回もダウンを奪われる惨敗を喫した。75年に射殺され短い人生の幕を閉じている。
1947年生れ。58戦45勝(30KO)10敗3分。
■ホセ・レグラ(スペイン・王座在位 72年12月16日〜73年5月5日)
キューバのハバナに生れ、16歳の時キューバ革命でマイアミに逃れた。ハバマにいた頃からリングに上がっていたレグラは有名な五番街ジムで汗を流した。ジム・メートにはカシアス・クレイがいて後年レグラが「軽量級のクレイ」と呼ばれたのはこの時の影響だった。63年にはスペインに亡命。頻繁にリングに上がり、68年に世界に挑戦するまでスペインでは81戦してウィンストンに敗れたのみだった。ウィンストンに5回KOで雪辱し、WBC王座を獲得したレグラは初防衛戦でファメションに敗れてしまう。72年12月、サンチェスを10回KOに破り約4年ぶりに返り咲いた。
1943年生れ。151戦135勝(49KO)12敗4分。
■エデル・ジョフレ(ブラジル・王座在位 73年5月5日〜74年返上)
黄金のバンタムと謳われた屈指の名王者。完璧な防御と必殺の強打で芸術的なKOを披露した。格闘技一家に育ったジョフレはアマチュアで148勝2敗の成績を残し、57年プロデビュー。60年3月、王座決定戦でエロイ・サンチェスを6回KOに降し、世界バンタム級王座へ。5年間で8度守った(全KO)タイトルを原田に奪われ、再戦にも敗れるとフェザー級に転向。73年5月、レグラに判定勝ちして37歳でWBC王座を獲得、2階級制覇に成功した。初防衛戦でサルジバルに4回KO勝ちした後タイトルを返上。その後、カムバックして40歳までリングに上がった。
1936年生れ。78戦72勝(50KO)2敗4分。
■ボビー・チャコン(米・王座在位 74年9月7日〜75年6月20日)
カリフォルニア州シルマー出身のメキシコ系。72年にプロデビューし19連勝(17KO)をマーク。73年にオリバレスに9回KO負けで初黒星。74年にダニー・ロペスとのライバル対決にKO勝ちしてジョフレの返上したWBC王座決定戦に駒を進め、元Sフェザー級王者Aマルカノに9回TKO勝ち。2度目の防衛戦でオリバレスに敗れた。Sフェザー級に転向してアルゲリョ、ボサ・エドワーズに挑戦したが、いずれも失敗。82年12月、ラファエル・リモンに判定勝ちして7年半ぶりに王座に返り咲くと共に2階級を制覇した。
1951年生れ。67戦59勝(47KO)7敗1分。
■ルーベン・オリバレス(メキシコ・王座在位 75年6月20日〜75年9月20日)
■デビッド・コティ(ガーナ・王座在位 75年9月20日〜76年11月6日)
ガーナ初の世界チャンピオン。長身のテクニシャンでスピーディな身のこなし、タイミングのいいカウンターが身上のアウト・ボクサー。75年9月、オリバレスのも持つWBCフェザー級タイトルに挑戦し、1回にダウンを奪って2―1の判定勝ちを収めるもフォーラムのオリバレス・ファンが判定に怒って会場はパニック状態となった。暴動のさなかで戴冠を果したコティはフリッパー上原(11R終了TKO)、シゲ福山(3RKO)と2度の防衛に成功した後、ダニー・ロペスに判定負けでタイトルを失った。
1950年生れ。38戦33勝(19KO)4敗1分。
■ダニー・ロペス(米国・王座在位 76年11月6日〜80年2月2日)
“リトル・レッド”の愛称で親しまれたロスのアイドル。兄は元世界ウェルター級1位のアーニー“インディアン・レッド”ロペス。18歳でデビュー以来21連続KO勝ち。しかし24戦目でライバルのチャコンに9回KO負けを喫するとシゲ福山(9RKO)、オクタビオ・ゴメス(判定負け)と立て続けに敗れ、挫折を味わう。しかし不屈の闘志で這い上がってきたロペスは75年から76年にかけてオリバレス、オグラディ、ハフェイら強豪ばかりを相手に7連続KO勝ち。76年11月、コティに判定勝ちしてWBC王座を獲得した。ホセ・トーレス、ファン・マルバレス戦ではともにダウンをはね返して痛烈なKO勝ちを収めるなど8度の防衛に成功した。
1952年生れ。47戦42勝(39KO)5敗。
【70年代・WBA・Sバンタム級王者】
■洪秀煥(韓国・王座在位 77年11月26日〜78年5月7日)
バンタム級で東洋、世界を制した洪は日本人との対戦も多く、牛若丸原田とは1勝1敗と星を分けている。75年、サモラに敗れバンタム級タイトルを失い、翌年のリ・マッチでもKO負け。77年、新設されたSバンタム級のエミリネーション・バウト出場のチャンスを掴む。田中風太郎を破り、決定戦に駒を進めた洪は17歳の新鋭強打者(11戦全KO)のエクトル・カラスキリャと対戦。2Rに4度のダウン(この試合はフリー・ノックダウン制で行なわれた)を喫しながら続く3Rに大逆転のKO勝ちを収め、初代王座に就いた。初防衛戦で笠原優に5度のダウンを与えて判定勝ち。78年5月の2度目の防衛戦でカルドナに12RTKO負けした。
1950年生れ。48戦39勝(13KO)5敗4分。
■リカルド・カルドナ(コロンビア・王座在位 78年5月7日〜80年5月4日)
コロンビアのサンバシリオ・デ・パレンケ生まれ。アントニオ・セルバンテスと同じ町の出身で、ベネズエラの大物プロモーター、ラミロ・マチャード氏の傘下でカラカスをホームリングとして戦った。ボクシング・スタイルもセルバンテスと良く似たテクニシャンだった。世界的に無名の存在だった78年、WBA・Sバンタム級王者洪秀煥に挑戦、4回にダウンを奪い、12RTKO勝ちで王座に就いた。このタイトルは鄭巡鉉、
瀬川幸雄らを相手に5度守った後、80年にレオ・ランドルフに15RKOで敗れ王座を手放している。
1952年生れ。37戦26勝(13KO)10敗1分。
【70年代・WBC・Sバンタム級王者】
■リゴベルト・リアスコ (パナマ・王座在位 76年4月3日〜76年10月9日)
リアスコはチャンピオンになる2年前の74年、柴田に挑戦するアントニオ・アマヤのスパーリング・パートナーとして来日。竹森三城と試合も行なって分のいい引分け。3ヵ月後にはフリッパー上原に判定勝ちした。その後、アルゲリョに挑戦して2RKO負け。76年4月、ワルインゲ中山との決定戦に勝ってWBC初代Sバンタム級王座に就いた。韓国で行なわれた廉との2度目の防衛戦では判定が二転三転した後、10日後に防衛が認められた。3度目の防衛戦でロイヤル小林に8RKO負けで王座を失った。
1953年生れ。41戦28勝(14KO)9敗4分。
■ロイヤル小林(日本=国際・王座在位 76年10月9日〜76年11月24日)
ミュンヘンオリンピック、ベスト8のアマ実績を残し73年プロデビュー。11連続KOを含む18連勝(16KO)で75年10月、アルゲリョの持つWBAフェザー級タイトルに挑戦したが、これは相手が悪く5RKO負け。翌76年10月、1階級下げてWBC・Sバンタム級王座に挑戦、リアスコを8RKOに破り頂点に立ったが、46日後、厳寒のソウルで廉の足に逃げられタイトルを失った。78年1月、まさにピークを迎えようとするゴメスの王座に挑んだが、芸術的な左フックを受けてキャンバスに沈んだ。ゴメス戦後はフェザーに戻り、再び頂点を目指したが名王者ペドロサの技巧に世界復帰の夢はついえた。
1949年生れ。43戦35勝(27KO)8敗。
■廉東均(韓国・王座在位76年11月24日〜77年5月21日)
変則的なファイター・タイプだが、時には小林戦のように足を使うボクシングも見せた。日本選手とも数多く対戦し吉田秀三にKO負けするまでは全勝、日本人キラーといわれた。76年8月の世界初挑戦では有利に試合を進めながらリアスコに判定負け、物議をかもした。同年11月、R小林に挑戦、1Rにラッキーなダウンを奪った後は小林の強打を避け、徹底したヒット・アンド・ランで逃げ切り王座へ。アントニオ・セルバンテスの弟、ホセ・セルバンテスに判定勝ちで初防衛に成功。77年ウィルフレド・ゴメスに1Rダウンを奪ったが12回逆転KOで敗れている。
1952年生れ。65戦52勝(21KO)5敗8分。
■ウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ・王座在位77年5月21日〜83年5月26日)
74年の第1回アマ世界選手権で優勝、同年11月にプロデビュー(引分け)。2戦目からオールKO勝ちで注目を浴びる。77年5月に廉東均の持つWBC・Jフェザー級タイトルに挑戦、12RKO勝ちでタイトルを獲得。以後、R小林、Cサラテ、Lピントールらを相手に前人未到の17連続防衛に成功した。81年8月、二階級制覇を賭けてサンチェスに挑んだが、8回KO負けで初黒星を喫している。83年にフェザー級に転向、タイトルを返上している。勘の良さとスピーディなボクシング、そして抜群のタイミングで放たれる左フックのカウンターは恐ろしいまでの切れ味を秘めていた。
1956年生れ。48戦44勝(42KO)3敗1分。
<年代別>
■1970年 ■1971年 ■1972年 ■1973年 ■1974年 ■1975年 ■1976年
■1977年 ■1978年 ■1979年
<階級別>
■フライ級 ■バンタム級 ■フェザー級 ■ライト級 ■ウェルター級 ■ミドル級
■Lヘビー級 ■ヘビー級
■70年代の名勝負 ■70年代「リング」誌最優秀ボクサー ■トップページ
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