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■70年代のバンタム級(2000.11.25更新)
▼バンタム級ベスト10
1位 ルーベン・オリバレス
2位 カルロス・サラテ
3位 アルフォンソ・サモラ
4位 ルペ・ピントール
5位 チューチョ・カスティーヨ
6位 ホルヘ・ルハン
7位 ロドルフォ・マルチネス
8位 ラファエル・エレラ
9位 洪秀煥
10位 ロメオ・アナヤ
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70年代のバンタム級には12人(延べ14人)の王者が君臨。そのうちメキシカンが8人(延べ10人)を占めている。その他はパナマ2人、南ア1人、韓国1人。
オリバレスの登場以降、バンタム級のタイトルはメキシコの独壇場となっている。その層の厚さはWBC王座の独占(70年代と80年代でタイトルが国外に流出したのはダビラ<米国>とロラ<コロンビア>の2度だけ)にも現れている。オリバレス、サラテの陥落はいずれも同国人の手によるものだった。
ベスト10にもズラリとメキシカンの名前が並んだ。本来は80年代で評価するべきであろうピントールも敢えてランク・イン。(何せ12人しかいないもので)
1位はまたしてもオールタイムと矛盾するオリバレス。70年に入るとオリバレスのピークはあっという間に過ぎてしまったが、それでも全盛時の強さ、インパクトで選出。ローズを破って王座に就くまでのオリバレスは手のつけられない程強かった。
ボクサーとしての総合評価はオリバレスを上回るサラテ。長身のカウンター・パンチャーで完成されたスタイルを持っていた。ピンポイントで相手を倒すKOアーチストだ。それにしてもサラテとオリバレス、お互い全盛期に対戦したらどうなるんでしょうね?
サモラは160センチに満たない身長ながら抜群のパワーでKO野山を築いた。後のフェザー級名王者エウゼビオ・ペドロサを2回で粉砕した星が光る。ベビーフェイスで人気も高かった。5度の防衛はいずれもKO勝ち。サラテにKO負けして勢いを失ってしまったのが残念。まだ若かったのだが。
ピントールはサラテ戦の疑惑の判定、ノンタイトル戦のKO負け、村田と引分けと王座に就いた当初は冴えなかったが、徐々に実力を発揮して8度の防衛に成功している。
ルハンは来日して磯上を翻弄したテクニシャン。サモラを番狂わせのKOで破り、5度の防衛に成功した。5位以下は印象度で選んでみたものの頭を悩ませる選考でした。あくまでも独断と偏見ということでご容赦を。
【70年代バンタム級王座変遷】
69年8月、ボクシング史に残る怪物ボクサーが世界の頂点を極めた。ロサンゼルス・フォーラムのリングに世界バンタム級王者ライオネル・ローズを迎えた同級1位ルーベン・オリバレスは驚異的なKO率でセンセーションを巻き起こしていた。
試合は予想通りオリバレスの強打が爆発。2回に左フックでダウンを奪った後、5回にも3度のダウンを与えKO勝ち。51勝50KO1分という驚異的なレコードで王座に就いた。この中にはサルバトーレ・ブルニ、オクタビオ・ゴメス、ジョー・メデル、フリオ・ゲレロ、桜井孝雄ら強豪達が揃って強打の犠牲者リストに名を連ねていた。
しかし、オリバレスの時代は長くは続かなかった。慢心から練習にも身が入らなくなったオリバレスは3度目の防衛戦で同国人のチューチョ・カスティーヨに初黒星を喫しタイトルを手放した。半年後の再戦では判定でタイトルを奪回。金沢、ヘスス・ピメンテルを退けたが、3度目の防衛戦(通算5度目)ラファエル・エレラに痛烈な8回KO負けを喫した。
タイトルはエレラからエンリケ・ピンダーへと移るが、1位ロドルフォ・マルチネスとの対戦を避けたためにWBCより王座を剥奪され、以後分裂が続く事になる。WBAタイトルはピンダー→ロメオ・アナヤ→アーノルド・テーラー→洪秀煥を経てメキシコのニューヒーロー、アルフォンソ・サモラの手に渡る。小柄なファイター、サモラはパワフルな左右フックでオールKOの快進撃を続けたが、サラテとのライバル対決に敗れ失速。伏兵ホルヘ・ルハンがサモラを10回KOで破る殊勲の星を挙げた。
ピンダーの王座剥奪で空位となったWBCタイトルはラファエル・エレラがロドルフォ・マルチネスを12回TKOに降し王座へ。3度目の防衛でマルチネスに4回KO負けで王座を明け渡した。マルチネスは沼田戦も含め3度の防衛に成功したがカルロス・サラテに9回KO負けした。サラテはカウンター・パンチャーで芸術的なKOを演出していったが、2階級制覇を狙いゴメスに挑戦するも5回KO負け。9度の防衛(全KO)に成功した後、ルペ・ピントールに不可解な判定でタイトルを失った。幸運な戴冠を果たしたピントールは以後実力を発揮して村田(引分け)、ハリケーン照(15回KO)ら8人の挑戦を退けている。
【70年代バンタム級王者(統一王座)】
■ルーベン・オリバレス(メキシコ・王座在位 69年8月22日〜70年10月16日)
ミスター・ノックアウト、ジョフレを凌ぐ“ダイヤモンド製のバンタム”
― 数々の代名詞がオリバレスの怪物性を物語っている。典型的なメキシカン・ファイターでしつこい連打と必殺の左フックでKOの山を築いた。王座に就いた時のレコードが51勝50KO1分。(後に反則勝ちもKOに含めていたのが判明し、49KOに訂正)これは決して作られた記録ではなく、対戦相手にはフリオ・ゲレロ、牛若丸原田、サルバトーレ・ブルニ、オクタビオ・ゴメス、ジョー・メデル、金沢和良、桜井孝雄ら一線級の名前がズラリと並んでいるのである。練習嫌いと放蕩癖が災いしてピークは短かったが、それでもなお2階級を制覇し4度も王座に就いたのはさすがと言うべきだろう。
1947年生れ。104戦88勝(78KO)14敗2分。
■チュ−チョ・カスティーヨ(メキシコ・王座在位 70年10月16日〜71年4月2日)
オリバレスを破った男としてバンタム級史に名を残す。70年10月、3度目のタイトル挑戦でオリバレスを血まみれにして14回KO勝ち(カリフォルニア州ルールにTKOはない)。3度目の対戦でオリバレスに判定で雪辱された。両者は3度の対戦でカスティーヨの1勝2敗となったが、オリバレスの強打に45ラウンズ耐えたばかりか逆に2度のダウンを奪う健闘を見せている。カスティーヨが初めて注目を浴びたのは67年、メデルを破ってメキシコ・チャンピオンになった時。翌年ヘスス・ピメンテルとの挑戦者決定戦に勝って、ライオネル・ローズに挑戦。ダウンを奪うも判定負けしている。カンのいいテクニシャンだったが、気まぐれな面もあったようだ。
1944年生れ。65戦45勝(20KO)18敗2分。
■ルーベン・オリバレス(メキシコ・王座在位 71年4月2日〜72年3月19日)
カスティーヨからタイトルを奪回したオリバレスは初防衛戦で初来日。東洋チャンピオンの金沢和良を激闘の末、14回KOに降した。ヘスス・ピメンテルを11回KOに破り、2度目の防衛に成功した後、伏兵ラファエル・エレラに8回KO負けを喫しタイトルを失った。
■ラファエル・エレラ(メキシコ・王座在位 72年3月19日〜72年7月29日)
71年、カスティーヨに雪辱して北米王座を獲得。翌年、友人でもあるオリバレスのタイトルに挑戦。大方の予想を覆し、オリバレスを血まみれにした挙句8回、壮絶なKO勝ちを収めた。72年7月、初防衛戦でエンリケ・ピンダーに判定負けしてタイトルを失った。73年にはロドルフォ・マルチネスとの決定戦に勝ってWBC王座を獲得している。強打と基本に忠実なボクシングとリング外での紳士振りやハンサムな容貌で人気も高かった。
1945年生れ。66戦51勝(22KO)10敗5分。
【70年代・WBAバンタム級王者】
■エンリケ・ピンダー(パナマ・王座在位 72年7月29日〜73年1月20日)
競馬の騎手を志すも、見習い時代に馬に頭を蹴られて病院送りに。より安全な(?)ボクシングに転向したという変り種。170センチの長身を生かしたクレバーなボウサー・タイプ。北米タイトルを獲得した後、
72年7月エレラに挑戦、判定勝ちで王座に就いた。73年1月、1位のロドルフォ・マルチネスとの対戦を避けたためにWBCより王座を剥奪された。初防衛戦でアナヤに3回KO負け。
72年6月には大場に挑戦するアモレスのパートナーとして来日している。
1947年生れ。43戦36勝(14KO)5敗2分。
■ロメオ・アナヤ (メキシコ・王座在位 73年1月20日〜73年11月3日)
テストラ・グチェレス出身、“第2のオリバレス”とも目されたスラッガー。
73年1月、ピンダーのWBAタイトルに挑戦。アウト・ボクシングに徹する王者に3回、アナヤが強烈な左をアゴに直撃してダウンを奪う。さらに同じ左でピンダーに10カウントを聞かせ、王座に就いた。4月、ロヘリオ・ララに判定勝ちで初防衛。8月には前王者ピンダーと再戦、前回と同じく3回KO勝ちしている。11月、3度目の防衛戦で南アのテーラーに14回KO負けを喫し、タイトルを手放した。
1946年生れ。65戦45勝(37KO)19敗1分。
■アーノルド・テーラー(南ア・王座在位 73年11月3日〜74年7月3日)
ヨハネスバーグ出身。打って良し離れて良しのボクサー・ファイターだったが打たれモロい面もあった。南アフリカのバンタム、フェザー、ライトの3階級を制覇した後
73年11月、地元にアナヤを迎えて王座に挑戦。ダウンをはねかえして見事14回KO勝ちを収め、南アフリカ2人目の世界王者となった。74年7月、初防衛戦で洪秀煥に3度のダウンを奪われて判定負け、タイトルを失った。1945年生れ。49戦40勝(17KO)8敗1分。
■洪秀煥(韓国・王座在位 74年7月3日〜75年3月14日)
74年7月、南アフリカに遠征しテーラーを3度倒して判定勝ち、王座を獲得した。金基洙に続き韓国2人目の世界王者。大場にも挑戦したことのあるフェルナンド・カバネラに判定勝ちで初防衛。75年3月、2度目の防衛戦でサモラに4回KO負けでタイトルを失い、76年10月の再戦でも12回KOで敗れた。77年11月には新設されたWBA世界J・フェザー級初代王座をパナマのエクトール・カラスキリャと争い、3回に4度のダウンを奪われながらも4回大逆転KO勝ちで2階級を制覇している。
1950年生れ。48戦39勝(13KO)5敗4分。
■アルフォンソ・サモラ(メキシコ・王座在位 75年3月14日〜77年11月19日)
同じクーヨ・エルナンデス門下のサラテととも“Zボーイズ”として70年代のバンタム級にセンセーションを巻き起こした。アマチュアで54勝45KO,RSC1敗。72年ミュンヘンオリンピック銀メダリストから翌73年プロデビュー。小柄な体ながらパワフルな左右フックを武器に全試合KO勝ちの快進撃を続け、
75年3月洪秀煥に4回KO勝ちで王座を手にした。3度目の防衛戦では後のフェザー級名王者エウセビオ・ペドロサを左フック一発で眠らせている。77年4月、サラテとのライバル対決に4回KO負けすると急に失速。続く6度目の防衛戦で伏兵ホルヘ・ルハンに10回KO負けを喫しタイトルを失った。
1955年生れ。40戦34勝(33KO)6敗。
■ホルヘ・ルハン(パナマ・王座在位 77年11月19日〜80年8月29日)
イスマエル・ラグナに憧れてグローブを握ったテクニシャン。2年間のアマチュア経験の後、73年にプロ転向。74年には当時世界フライ級2位にランクされていたソクラテス・バトトに4回TKO勝ちするなどフライ級のホープとして活躍。77年にバンタム級に転じ、パナマの同級王座に挑むが惜敗。4ヵ月後にはアントニオ・セルバンテスの弟ホセ・セルバンテスにも敗れた。直後サモラの挑戦者に抜擢され、番狂わせの10回KO勝ち。80年には5度目の防衛戦で来日、磯上秀一挑戦をテクニックで翻弄した。タイトル防衛は5度。
1955年生れ。37戦27勝(16KO)10敗。
【70年代・WBCバンタム級王者】
■ラファエル・エレラ(メキシコ・王座在位 73年4月14日〜74年12月4日)
73年4月、ピンダーの王座剥奪により空位となったWBC王座をマルチネスと争い、8回に2度のダウンを喫しながらも11、12回にマルチネスを4度倒して王座に返り咲いた。ベニス・ボーコーソー、ロメオ・アナヤを退け2度の防衛に成功。74年12月、3度目の防衛戦で、これまで2連勝と相性の良かったマルチネスに4回KO負けしてタイトルを失った。
1945年生れ。66戦51勝(22KO)10敗5分。
■ロドルフォ・マルチネス(メキシコ・王座在位 74年12月4日〜76年5月8日)
名伯楽ルペ・サンチェスが育てた最初の世界王者。スマートなボクサー・パンチャーだった。66年デビュー以来連戦連勝で注目を浴びるが、71年エレラに判定負けで初黒星。73年、初の世界挑戦は空位のWBC王座決定戦を賭けたエレラとの再戦となり、ダウン応酬の激闘となり12回TKO負け。74年、2度目の挑戦で宿敵エレラを倒し王座を獲得。このタイトルはネストル・ヒメネス、沼田久美、ベニス・ボーコーソーと3度守った後、サラテに9回KO負けを喫し王座を失った。
1946年生れ。52戦44勝(35KO)7敗1分。
■カルロス・サラテ(メキシコ・王座在位 76年5月8日〜79年6月3日)
アマでメキシコ・ゴールデン・グローブ王者となり、33戦全勝(30KO,RSC)の成績を残し71年プロデビュー。76年5月、同国人のWBC王者マルチネスに挑み、9R王者をロープ外に叩き出す痛烈なKO勝ち。デビュー以来44連勝(43KO)の快進撃でタイトルを手にした。77年4月にはWBA王者サモラとのライバル対決(ノンタイトル)に4回KO勝ちを収めている。8度防衛(全KO)の後78年10月、ウィルフレド・ゴメスのWBC・Jフェザー級王座に挑むもウェイトコントロールに失敗し、5回KO負け。翌年10度目の防衛戦でピントールに不運な判定負けで王座を明け渡し、引退を表明。7年後に再起し、ジェフ・フェネク、ダニエル・サラゴサと2度WBC・Jフェザー級王座に挑戦したが、王座復帰は成らなかった。スマートなカウンター・パンチャーで“パーフェクト”と謳われた。
1952年生れ。74戦70勝(66KO)4敗。
■ルペ・ピントール(メキシコ・王座在位 79年6月3日〜83年7月8日剥奪)
74年にプロ転向し、同じクーヨ・エルナンデス門下のサラテのスパーリング・パートナーとして実力を着けていった。79年6月にそのサラテの持つWBCタイトルに挑戦。終始攻勢をとったピントールだが、サラテの堅いディフェンスを崩せず、逆にサラテのカウンターを浴び続け、4回にはダウンを喫した。サラテの明白な判定勝ちと思われた試合は意外にもピントールの勝利となり、疑惑の戴冠となった。80、81年と来日して村田(引分け)、ハリケーン照(15回KO)の挑戦を退けている。3度目の防衛戦ではジョニー・オーエンのKO死という不幸もあったが通算8度の防衛に成功。83年、オートバイ事故でアゴを骨折し、まる1年間防衛戦をしていない為タイトルを剥奪された。82年12月にはゴメスのWBC・Jフェザー級王座に挑戦したが、激闘の末14回KOで敗れ2階級制覇は成らなかった。
1955年生れ。65戦54勝(41KO)9敗2分。
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